コラム

街を歩けばアートに出会う
美術探偵の“街中あーと”めぐり  第6回

紙媒体として発行していた雑誌「美術屋・百兵衛」No.54・55(合併号)から連載中のコラム。好評につきWeb版の「美術屋・百兵衛ONLINE」でも連載を継続します(3ヶ月ごとに更新予定)。美術評論家の勅使河原純氏が、誰もがふらっと訪れることができる国内のアートスポットを、毎回一箇所取り上げます。(編集部)

文・写真=勅使河原 純

武蔵野に皮トンビが舞う

埼玉県の所沢には、映画「となりのトトロ」の舞台となった狭山丘陵がある。ひと昔前までは関東平野屈指の里山地帯だ。そののどかな風景のなかに、突然巨大な岩の塊のようなものが出現した。図書館に美術館、博物館、それからトトロに代表されるようなアニメーションを紹介する機能まで合わせ持った複合施設、「角川武蔵野ミュージアム」(2020年8月)である。設計者・隈研吾の言葉を借りるならば、「武蔵野の大地がそのまま隆起したような」、いわばこれまで何処にもなかった「地殻建築」ということになろう。

角川武蔵野ミュージアム外観の画像

角川武蔵野ミュージアム外観

開館年の秋には疫病退散を願って、「コロナ時代のアマビエ」プロジェクトがはじまった。招待された六作家のうちの一人に、現代の神話を壮大なスケールでつくってきた気鋭のアーティスト鴻池朋子がいる。彼女は持ちまえの非常識力を目いっぱい発揮し、武蔵野の空に一羽のトンビを放ち、大空からじっくりパンデミックを見張らせようと企てたのだ。壁に貼りつけられた大きなエスキースを前に、構想はドンドンひろがっていく。だが上昇気流をつかまえようと広げた翼の横幅が25m、胴体の縦が10mもある縫い合わされた一枚皮となると、岩状のタイルに張りつけるだけでも容易ではないのだ。
クレーン車を2台用意し、約400個所に留金を設置して、皮にあけた穴に結束バンドを通しながらバランスよく連結していく。素材の床革は、牛革を漉いた時にでる裏革で結構丈夫そうだが、シワひとつ入らないよう思いっきり引っ張るのは、やはりご法度だ。「皮トンビ」は水性絵具で描かれたままの作品なので、本来野外の風雨に晒していいものではない。どれほど陽焼けして劣化が急激に進むかは、作家ですらなかなか想定できない有り様だ。
しかし鴻池は美術館内の展示スペースには拘泥しなかった。確かに屋内の展示ギャラリーは安全に守られた聖域である。だが東日本大震災の試練を経験したいまでは、剥き出しの感覚だけが捉え得るものもあると、多くの人々が承知している。野生を志向する以上、それとて無視できない要素なのだ。作品が安全に納まっていれば、それでいいというものではない。そうこうするうち「武蔵野皮トンビ」は、曲がりくねった壁にほぼ密着していった。

鴻池朋子《武蔵野皮トンビ》画像

建物の壁面で来場者を迎える鴻池朋子《武蔵野皮トンビ》

トンビの体は、びっしりと描きこまれた羽根で覆われ、どことなく愛らしい。元々羽根をリアルに表そうとした造形物ではなさそうだ。よくみるとキツネが獲物を探してうろついている。卵を抱えたカエル、冬眠中のリス、カマキリ、鳥も認められる。それに破壊された細胞や微生物だっているかもしれない。これらの生々しい描写の出どころとして、結構有力なのが瀬戸内芸術祭(2019)に出品された作品「リングワンデルリング」ではないか。題名は悪天候で方向を見失った人が、無意識にリング状に歩いてしまう登山用語からきている。
鴻池朋子は、瀬戸内海の大島で「リングワンデルリング」の一部として、皮トンビの祖型のようなものつくっているのだ。これを島の原始林を思わせる大木のあいだに高々とぶら下げている。観客たちは、ちょっとしたトレッキングを楽しみながら、いきなり皮トンビと対面することになる。頭の上から、突然巨大な獣の鋭い視線が降ってくるのだ。しかも陽焼けと風雨に晒されたトンビは焦茶に変色し、木の枝でビリビリに引き裂かれ、沢山の蜘蛛の巣が張られ、バリテリアや昆虫などにも喰われ、ボロボロになって風に揺れていたのである。

勅使河原 純
美術評論家。1948年岐阜県出身。世田谷美術館で学芸業務のかたわら、美術評論活動をスタート。2009年4月、JR三鷹駅前に美術評論事務所「JT-ART-OFFICE」を設立、独立する。執筆・講演を通じ「美術の面白さをひろく伝え、アートライフの充実をめざす」活動を展開中。

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