文=庄司 惠一
第二章 異次元文明を支える日本文化(前回=2022年4月13日更新分より続く)
スポーツを通して道を解く
◎剣道
心身の鍛錬・人間形成の道であり、江戸中期に発達した防具着用の竹刀稽古を起源とし一気に町人にまで拡がる。幕末の坂本龍馬・桂小五郎・高杉晋作・武市半平太などが江戸三大道場で剣道と勉学に励むと共に江戸幕府打倒の原動力にもなった。幕末の新撰組の多くは武士ではなく農民や町民が多く、局長「近藤勇」は農民・副長「土方歳三」は薬の行商人であって、剣道ではなく剣術といわれていた。多くは「剣術」と呼ばれ「剣道」の名称は明治期に正式に使用されるようになった。現在ではスポーツ競技や体育の面も持合わせる。競技人口は国内130万人で世界では260万人で国内では減少といわれる傾向にある。
好きな幕末の時代小説に坂本龍馬等が各道場の師範代で色々なシーンで試合する場面が出てくるのか納得しました。私の知り合いの子供は、小さい頃から中学まで剣道を習っていたということですが、竹刀代が思いのほか掛かるそうです。竹刀は長持ちをするとお思いでしょうが、先が割れてくると面具の間から先が入り目が危ないということで短期間で買い替えていました。また、武道をやると体をかわすことや相手の力を利用することで相手を押さえ込むことが上手くなり、小学校の高学年になると歯が立たなくなるそうです。
◎弓道
和弓で矢を射て的に当てる一連の所作を通じて心身の鍛錬をする武道です。現在ではスポーツ競技や体育の面も持合わせています。登録競技人口は約14万人で愛知・東京・神奈川に多く特に愛知の半数の高校にあるが大阪では10%弱しかない。高校生では競技者数は6万人台で剣道を上回る。小笠原流・日置流・本多流・大和流があり、「礼射系」は小笠原流、「武射系」は日置流があり、有名な三十三間堂の通し矢は本多流である。弓は本来は竹と木だが今は安価な強化プラスティック製で矢はジュラルミンまたは強化プラスティック製になっている。手袋は鹿皮で、弓道衣は上衣-白、筒袖で、袴-黒または紺である。
弓と矢は消耗品でなかなか高価であり、弓道場も広い安全な場所が必要で弓道部の有る学校は少ない。
三十三間堂の通し矢は従来は1月15日の「成人の日」に行われていましたが、現在は15日の直前の月曜が「成人の日」に変わり当日は振袖姿の成人の若い女性も多く晴れやかです。
私の知り合いの娘さんが弓道をしていて三十三間堂で振袖姿で「通し矢」をしたいと京都の大学を受験したということです。
◎空手道
空手は、琉球王国発祥の格闘技で武器を禁止された為、手足など身体だけを使って戦う武道として発展し多くの流派ができ、薩摩示現流も空手が元だといわれています。ロシアのサンボや韓国のテコンドー(日本の松涛館空手から派生したもので競技人口は5000万人とも・オリンピック競技)は空手が発展したものだといわれ、多くの流派があり試合形式の違いから「寸止めルール」の伝統派空手と「直接打撃ルール」のフルコンタクト空手と「防具着用ポイント制ルール」の防具付き空手とに大別できるそうです。
大山倍達の極真空手は劇画でベストセラーになったのでよく読んだものです。身近の人でも色々話をすると空手を習っていたかとか黒帯だという人が何人かいます。護身術として少し習っていたら良かったのにと思いました。
◎相撲道(角力・力くらべ)
神事であり武芸・武道であり、その名残が大相撲に多く残っています。最初に体系をおよそ仕上げたのは織田信長ともいわれています。代表例としては横綱の土俵入り・綱廻し・土俵・弓取り式などに見られ、行司が小刀を差しているのは勝負に差し違いをした時は切腹をするという覚悟の表れだといわれています。始まりは古代垂仁天皇時代の野見宿禰の戦いだといわれていて、江戸時代は大関が最高位であり有力な各藩が力士を抱え勝負を競いました。大関の中で心・技・体に秀れた大関が神の領域と言われる横綱になります。その証しは横綱のみが許される綱廻しがあります。
戦後の大相撲、若乃花VS柏戸、輪島VS栃錦、大鵬VS柏戸、千代の富士VS初代貴乃花、貴乃花・若乃花時代に熱狂した人は多いでしょう。
モンゴル相撲も有名ですが、モンゴルから多くの力士が来て横綱はじめ幕内力士を輩出しています。モンゴル相撲には「ブフ」というルールがあり肘・膝・頭・背中・尻のいずれかが先に地面につくと負けで、土俵といったものが無く場所を制限されることはないし、時間の制限もないという事で日本の相撲と大分違います。
日本の相撲には、神事の名残として横綱の綱廻し・弓取り・千秋楽の三役への矢渡しなどが残っています。国技ではありますが日本の力士が少なくなり、外国人力士、特にモンゴル力士が多く、伝統が上手く伝えられずルールが乱れ、勝てば良いとの風潮は看過できません。入門時からキチンと歴史や心構えなど、あるべき姿を伝授していくことが日本の相撲界を維持していく重要な事であると考えます。また、新弟子の入門希望者が激減していることが何に起因するのか猛省し、内部だけでなく外部の人材を登用して改革する必要があるのではないかと思います。
令和元年5月25~28日、米国大統領のトランプ氏が令和初の国賓として日本に来日されました。安倍晋三首相の提案で、東京・両国国技館の大相撲夏場所の千秋楽の「結びの一番」などをメラニア夫人を交えて観戦。首相が「前の方が迫力がある」と勧めると、トランプ氏は升席からの観戦を熱望したとか。首相は格闘技好きのトランプ氏に間近で国技を堪能してもらい、関係強化につなげたいという考えなのだろう。観戦後、大相撲優勝力士に、これも初の米国大統領杯贈呈があり、トランプ氏は、授与へ。今後、大相撲夏場所の千秋楽には大統領杯が組み込まれるということです。ちなみに大統領杯は高さ137センチ、重さ約30キロ。トランプ氏は表彰の言葉を述べ、これも初優勝の朝乃山をにこやかに讃えました。
娯楽文化を超えた格式の伝統芸能
◎能狂言
能の狂言の意で能の別称であり、能に付随する狂言は通常は単に狂言と呼ばれます。狂言方・狂言師・能面・能装束のように呼ばれるが歌舞伎狂言や演しものも狂言というようになったためそれと区別して特に「能狂言」と呼んだそうです。江戸中期になると歌舞伎や演劇の別名として使われるようになったので「能狂言」と呼ばれることが定着した。本来の狂言をくずして俄風にしたものが寺社の境内で演じられたもののこともそう呼びます。有名なところでは京都の壬生寺の「壬生狂言」が良く知られています。
能は詩・劇・舞踊・音楽・美術などさまざまな要素が絡み合い一体となった「総合芸術」で「和製ミュージカル」ともいわれます。大陸からの「散楽」をベースにして、古来より演じられていた民衆の芸能(田楽や曲舞など)をとりいれて、観阿弥・世阿弥親子が原型を作ったといわれ当時は「猿楽能」と呼ばれ奈良を中心に広められ京都に進出して、将軍・足利義満の応援を得てその地位を確立しました。そして時代に沿って人々の好みに合うように作り替えられ姿を変えていき、能好きの豊臣秀吉の庇護を受け、江戸時代には幕府の式楽の地位を不動のものにしました。
各大名の城には能舞台が設けられ、祝賀の時などに大きな会が催されました。能と狂言については「能」は歴史や神話などの物語を題材にした幻想的・悲劇的な内容に対して「狂言」は一般庶民の日常生活を題材にした喜劇的な内容になっていきました。
能の台詞は「~にて候」という文語体ですが、狂言は室町時代に庶民の間で使われていた会話がベースになる「~でござる」という口語体です。
能は登場人物が歴史上有名な武将などが主役で面を付けて演じられるが、狂言は主に素顔で演じられます。
能を観劇する時は前もって内容を勉強しておかないとぶっつけではなかなか私には理解できません。
京都には注意して歩いていると能面や能装束や小道具の会社や店が多く有ります。(特に御所近辺に)「薪能」は夜に薪を焚いて演じるから薪能というのだと思っていましたが、京田辺市の「一休寺」のすぐ近くに有る「薪神社」で演じられたのでそう呼ぶとか……。
室町時代の「応仁の乱」では、京都の多くが焼けてしまい、能楽観世流三代・音阿弥が一休和尚を頼って疎開逗留し、墓も一休寺にあります。
◎歌舞伎
歌舞伎は日本固有の演劇で伝統芸能の一つで国の重要無形文化財(1965年指定)で、2009年にはユネスコの世界無形文化遺産の代表一覧表に記載されました。「歌舞伎」という名前の由来は「傾く(かぶく・かたむく)」からだといわれます。戦国時代の終わり頃から江戸時代にかけて流行した変わった形を好んだり常軌を逸脱した行動を指した語で特にそうした人たちを「かぶき者」といいました。「かぶき踊り」は主に女性が踊っていたことから歌舞する女との意味で「歌舞姫」や「歌舞妃」「歌舞妓」の表記が用いられました。
「歌舞伎」という名称は俗称で公的には「狂言」または「狂言芝居」と呼ばれていて「歌舞伎」の元祖は「阿国」という出雲出身の女性が始めた「かぶき踊り」であるといわれています。
「阿国歌舞伎」の発祥の碑は京都市東山区の南座の西側・四条大橋のたもとにあります。
歌舞伎役者を「成田屋(市川團十郎~)」や「音羽屋(尾上菊五郎~)」などと呼ぶのは役者が身を置いた茶屋の名残であるとか。歌舞伎役者の浮世絵も人気を得て歌舞伎の拡がりの一助となっています。現在でも東京「歌舞伎座」・大阪「新歌舞伎座」・京都「南座」で常設の劇場があります。
歌舞伎も能と同じく前もって予習しておくと良くわかります。成田屋~とか音羽屋~とかここぞという時に声をかけるのは難しいと常々思っていましたが、専門の人がいるのでしょうか?
京都の南座は2018年12月の「吉例顔見世」前にやっと何年振りかの耐震工事が終わり、四条通りをほとんどの歌舞伎役者が正式な紋つき姿で練り歩き大評判となりました。沿道に大勢のファンの人たちが、各人のひいきの役者さんをスマホで写していました。それをみると現在でも歌舞伎人気がいかに高いか良く解りますし、人気を保つための努力に感服いたします。(続く)
前方後円墳は現代アートである
日本異次元文明論
庄司 惠一 著
発売:オクターブ/価格:本体3.500円+税
仕様:A5判・173ページ/発行日:2019年11月12日
ISBN:978-4-89231-211-73
庄司 惠一
MASA コーポレーション会長。
1939(昭和14)年、和歌山県田辺市生まれ、京都市育ち。
神戸商科大学(現・兵庫県立大学)卒。1972(昭和47)年、京都・五条坂に画廊「大雅堂」を開く。1986(昭和61)年、京都・祇園に画廊を移築オープン。2008(平成20)年8月から現職。