コラム

日々是好日 −画家の書斎から−
第12回

      文=佐々木 豊

芸術の秋、画家からの映画鑑賞のススメ

アラン・ドロン

アラン・ドロンの死を朝日新聞は、夕刊と朝刊の二度にわたってくわしく報じた。日本での人気がうかがい知れよう。
ドロンは小生と同じ1935年生れ。
日本で初公開の「お嬢さん、お手やわらかに!」に始まって、「太陽がいっぱい」など全作品を観ている。
‘67年に世界一周の旅に出た時、最初に訪れたアテネの安宿へ泊った。食堂でフランスからやってきた、私たち三人と同年齢のグループと一緒にテーブルを囲んだ。
「俺はアラン・ドロンのファンだ。齢も同じだ」にわか仕込みのフランス語で話しかけたら
「ウソをつけ、彼はもう30を過ぎている。オマエはまだ十代だろう?」と相手が言うから、「本当に32歳だ」と答えたら、相手が「じゃ、俺はいくつに見える」と言う。「80歳だ」と応じたら、みんな大笑い。
ドロンは何度も日本へ来ている。
テレビにも出演した。スタジオに集った女性ファンの頬にキスして回った。ところが後向きになってまるで汚いものでもぬぐうようにハンカチで口もとをぬぐった。それを別のカメラがとらえて流してしまった。
さて、今回のテーマは映画にまつわる気の利いたセリフや音楽について、話を広げたら、というのが編集者の提案である。
そこで思い出すのが、ある美術雑誌からのアンケートである。半世紀近くも前のことだ。

 

これまで観た映画のベスト・テンを挙げよ

(出典:Noom PeerapongUnsplash

驚いたのは、「映画を何年も観ていない」という回答を寄せた著名な画家がいたことだ。彼のアカデミックな技法だけの作風を思い出し、さもありなんと思った。
小生など、ベスト・テンを選ぶのに三日三晩、思い悩んだのに。
三島由紀夫、横尾忠則、小生が魅かれる作家や画家はみな映画狂。映画に関する著作はもとより、映画に主役級で出演している。
小生はといえば、三島由紀夫の「近代能楽集」の「邯鄲」の主役を舞台で演じたことはあるが、映画に出たことはない。

 

天才バロー

アンケートには「天井桟敷の人々」(マルセル・カルネ監督)を㐧1位に挙げた。主演はジャン=ルイ・バローである。
このバローという俳優、演技は神わざで、誰もが参ってしまう。バローを最初に観たのは「しのび泣き」という天才ヴァイオリニストを演じた時だ。これ以上にロマンティックな映画は後にも先にもない。
バロー演じる孤児院の青年が道端でヴァイオリンを奏でている。そこを1台の馬車が通り過ぎる。窓から老人が顔を出し「誰のために奏でているのか?」青年は天を仰ぎ、「この青空のために」。
それはウソで、自分のヴァイオリンの腕を売り込むために、馬車を待ちうけていたのだ。巨匠は青年を自宅へ連れて帰り、レッスンを始める。そして、大会場でのバイオリン協奏曲のソリストに抜擢する。
超満員の聴衆の前で、いよいよ、独奏部へ入ろうとするその時、青年はヴァイオリンを投げ捨てて叫ぶ。「駄目です。僕にはひけません」会場は大混乱におちいる。
恋人役のフランス映画界きっての美女、エドヴィジュ・フィエールが愛想をつかし、大きな目から涙をあふれさせ馬車で去るところで映画は終る。
この映画を画学生時代、武蔵野美術学校生の安藤と帰省先の名古屋の映画館で観た。場内が明るくなると、観客全員が泣いている。安藤も小生も。
話をアンケートにもどそう。ベスト・テンの1位に挙げた「天井桟敷の人々」は、バローの代表作である。舞台での道化役者の話である。
‘70年頃、マクルーハンという評論家が「新しい芸術は、前時代に栄えた芸術を模倣する」という説をとなえて、話題になった。「天井桟敷の人々」がまさにそれで、映画でありながら映像の内容は道化役者の舞台での所作に終始する。

佐々木豊《ウィーン奇想》

 

ジェラール・フィリップとアラン・キュニー

さて、バローの次の世代の二枚目は「モンパルナスの灯」でモヂリアニを演じたジェラール ・フィリップである。そして、アラン・ドロンと続く。
フィリップと並ぶ二枚目にアラン・キュニーという俳優がいたのをご存知だろうか?
イタリア映画の名作フェデリコ・フェリーニ監督の「甘い生活」にも出演している。
ローマの夜を舞台に名優マルチェロ・マストロヤンニが快楽にふける内容だ。
夜のトレビの泉で肉体派女優のアニタ・エクバーグが裸で水浴びする場面から始まる。
初めてローマを訪れた時、トレビの泉へ真先に出かけたが観光客でごったがえして近づけず、遠くから眺めるだけ。
この映画の終り近く、突如パイプオルガンが鳴り響く。バッハの余りにも有名な「トッカータとフーガ」である。天井の高い教会のような建物の中でオルガンをひいているのは哲学者役のアラン・キュニーである。この直後、自らの命を絶ち、神のもとに旅立つ。

(出典:Michele BitettoUnsplash

東京でのアラン・キュニー

この映画を観てから10年ほど経った’70年代の中ごろだったろうか、小生、アラン・キュニーと出会ったのである。東京は銀座線の地下鉄の中で。
勤務先の虎ノ門から昼めしでもと地下鉄に乗ったら、目の前に背の高い彼がいたのだ。とっさにフランス語が出た。
「Pardon monsieur, étes vous Alain Cuny ? 」(あなたはアラン・キュニーさんですか?)
彼の驚いた顔が今でも忘れられない。
「帝国ホテルに泊っている。明日にでもたずねて来ないか」と言ってくれた。さんざん迷ったが、結局行かなかった。一人では自信がもてなかったからだ。映画狂の玉野を勤め先の講談社フェーマス・スクールズで、さがしたが、病気で休んでいるという。東京での大切な一日を無駄にさせたのでは、と今でも胸が痛む。

監修:入江観(日本美術家連盟理事 春陽会会員)
長谷川純(現代童画会会員)

佐々木 豊
画家/1935年愛知県出身。1959年東京藝術大学油画科卒業、1961年同専攻科修了。受賞:1959年国画賞(1960年も)、1961年国画35周年賞、1992年第15回安田火災東郷青児美術館大賞、1993年・2001年両洋の眼展:河北倫明賞など多数。1992年〜2006年明星大学生活芸術学科教授。日本美術家連盟理事。技法書『泥棒美術学校』(芸術新聞社)は10版を重ねる。他に著書多数。

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