文=佐々木 豊
今更ながら「団体展ノススメ」
大勢の人に見てもらえる。大作を飾ってくれる。他に? 仲間が増える。
実はこの同業者と知り合えることが最大のメリットなのだ。彼から得られる情報は君の世界を一気に広げるだろう。
国立新美術館で開かれた国展。
初日の懇親会で1人の若手出品者から、ポートフォリオを見せられた。細密写実の達者な人物画だった。
「銀座の『飯田美術』へ行って見せな。佐々木から聞いたとな」
その若者、佐藤功は、またたく間に人気作家となった。
昨年は日本橋の三越でも個展を開き、多くの赤紙がついた。
団体展の初日の懇親会には百貨店の美術部員を招待する。それも効いたのかもしれない。
団体展で顔を売る方法
半世紀以上前の話になるが、東京藝大卒業時に国画賞を得た。専攻科の次の年は、のち藝大教授になる1年後輩の大沼映夫と国画賞を分けた。そのまた1年後輩の斎藤静輝も、国画賞だった。
昼休みに大沼が呼びに来た。
「懇親会で顔を売ろう」
校庭で当時流行していた「黄色いさくらんぼ」を猛練習した。女性三人のボーカルを男が唱ったので大喝采。
先輩の会員たちに顔を憶えられ、「自宅で画塾を開いている。手伝ってくれ」「雑誌のカットを描かないか」と声がかかるようになった。この春、亡くなった井上悟氏からは女学校の講師を譲ってもらった。定収入は涙が出るほど有難たかった。
今、主要団体展は国立新美術館で開かれている。
それ以前は上野の東京都美術館が会場だった。天井も低く、100号が主流だった。ところが新美術館は天井の高さが7、8メートルもある。横巾も都美館の2メートルから倍近くの約4メートルの壁がどの団体展の会員にも与えられることになった。
私は制限いっぱいの大作を出品することに決めた。だが、ほとんどの会員は描き馴れた従来通りの100号にこだわり、2点並べるだろうと、その頃出版した「プロ美術家になる!」に予告しておいた。
この予言は適中した。
国展の飾り付けの日、150号を2枚合わせて描いた絵を会場で組み立てていると、会員たちが集ってきた。「やられた」と後で誰かが叫んだ。
350センチメートルの大作1点は小生だけかと思っていたら、もう一人いた。稲垣孝二である。あとは全員100号2点組だった。今はどうだ。17年経た今は全員が大作1点。100号2枚組は1人もいない。
なぜか?
会場芸術ならではの大作
団体展は会場芸術なのだ。
新美術館のあの天井の高い広い部屋では、鑑賞者は、まず10メートルの距離から展示された絵を見る。その距離まではっきりセリフが届く絵だけを近づいたり離れたりして味わうのだ。
あの新美術館の壁に、目いっぱいの大作を並べてみたいと絵を描く者なら誰でも思うだろう。それには、とりあえず団体展に応募するのが近道だ。
会田誠がどこかに書いていた。団体展は既得権の乱用だと。やっかみがにじみでている。彼と対談して分ったが国立新美術館のロビーに貼られた私の国展出品作のポスターを見たらしい。
団体展に出さないと、個展で発表するしかない。
紐育と違って街の画廊は、広くて150号止まりだ。
会田の主戦場としている「ミズマアートギャラリー」は広い方だが、200号は無理だろう。彼が新装なった新国立美術館を観た時の悔しさはよく分る。
息長く活躍する団体展作家
ところで、世界堂主催の世界絵画大賞展の審査の席で、生前の本江邦夫氏とこんな会話をかわした。
「このコンクールは、フリーで活躍しようとしている作家の登竜門だよね。それにしてはフリーの審査員が一人も居ない」「そういえば遠藤、絹谷、佐々木も団体展作家だ」「フリーでオレの歳では、横尾忠則ぐらいしかいない」「だからか」
団体展作家は200号の大作を毎年一点は描く。40年会員を続ければ40点、どの美術館から個展のオファーがあっても受けられる。
近年の遠藤彰子の活躍を見よ。毎年全国の美術館で個展を開いている。二紀会で1000号の大作を何十年も描き続けてきた結果だ。
5月だ。六本木へ行こう。
私が60年以上出品してきた国展は、毎年4月末か5月に開かれる。「われに5月を」と寺山修司が唱ったあの5月である。
場所は東京のど真中の六本木。浮かれた気分で会場に赴くと、入選したカルチャーセンターの受講生のおばさまたちによく会う。
「また会ったね」「今日は小学校の同級生を案内してるの」「明日は?」「高校。明後日はご近所の……」
開館当時は、附近に飲食店は一軒しかなかった。今は六本木の駅まで連なっている。
佐々木 豊
画家/1935年愛知県出身。1959年東京藝術大学油画科卒業、1961年同専攻科修了。受賞:1959年国画賞(1960年も)、1961年国画35周年賞、1992年第15回安田火災東郷青児美術館大賞、1993年・2001年両洋の眼展:河北倫明賞など多数。1991年〜2006年明星大学教授。技法書『泥棒美術学校』(芸術新聞社)は10版を重ねる。他に著書多数。