文=中野 中
(45) 年始年末、身辺こもごも
昨年の10月9日、「中野中アートランダムコレクション」が始まった(15日まで。新宿・ギャラリー絵夢)。
この日から、年末年始へと、そしてこの稿を書いている今も、我が心も身も何やら落ち着かず、すべてがとっちらかって、まとまりを失っている。
いや、実は1年前にすでに始まっていたのだ。“一緒に棲みませんか”と娘に言われた瞬間。さすがに戸惑ったが、“オレも歳老いたのだ” “潮時だろうな”と自身を納得させながら、独居老人を気遣う娘の心配りを“ありがたいことだ”と得心したのは、いささか間をおいてからだった。
転居、引っ越しという言葉が、頭を過った。本棚におさまりきれず平積みされた書籍や画集・図録類の山、押入れから溢れでている絵画のコレクション、これをどうすれば…ということで、冒頭の展覧会の次第となったわけである。
何よりも嬉しかったのは、多くの方々が来廊して下さったこと。そして、多くの作品が新たなコレクターを得たこと。終の棲処への転居による身辺整理という我が侭につき合って下さった皆さん、また思いがけない新しい出会いに感謝の1週間であった。が、馴れないことに疲れも思いの他であった。
(それにしてもいつの間に、これほどのコレクションをしていたのだろう。未だに手許に多く残っている。頭の悩みは尽きない。)
八十路を迎えて
コレクション展を終えて間もなく誕生日を迎えた。これを機に、久方ぶりに「八十路の日録」を綴ることにした。
―80才を迎えた。6時起床。秋晴れ。いつも通りのルーティン。コーヒーを喫みながら新聞2紙にゆっくり目を通す。
午前中から銀座の画廊を巡り、新橋5丁目の画廊を覗いて終了、帰途へ。
6時過ぎ帰宅。コンビニのサンドイッチにサラダと焼魚、ビールで健康に乾杯。家に帰れば勝手次第、静かでゆったりがいい。
焼酎をやりながら読書。
体力も脳力もすべて右肩下がり。すべて歳なりであり、当たり前である。他と較べても仕方ない。体調に気を配り、すべてに感謝し、小さな成果に喜ぼう。―
なんど泣けば…
年新たまり、今日は1月1日。そろそろ夕餉の段取りを…と、いきなり(に決まっている)だった。築50年の陋屋の2階で、あわててテレビをおさえ、スイッチを入れた。間もなく臨時ニュースが能登半島の大地震を告げた。以降、2月下旬になっても毎日、テレビ、新聞を通してその甚大さに胸が痛む。政府の対応の愚鈍さに胸が痛む。
「くやしい」と題された詩はとても短い。〈砕けた瓦礫に/そっと置かれた/花の/くやしさ。〉
(中略)
「泣く」という詩は〈ここにいる人は/一度は泣いている。/あのとき/すぐに。/あのあと/ずいぶんたって。/このあと/いつか不意に。〉で全文。
(後略)
※安水稔和の詩
阪神・淡路大震災から20年目の「天声人語」から引用(朝日新聞論説委員室編「[英文対照]朝日新聞 天声人語 2015 春 VOL.180」/原書房、2015、43p.)
雪の日に
2月5日夕から6日にかけて大雪が降った。つい2週間ほど前に、京橋(東京・中央区)では、その名も「ジュウガツサクラ」が満開であったというのに。天の気まぐれに右往左往する人々を思い浮かべながら、しきりに降り続ける雪を見ているうちに、我が書棚からこんな詩を見つけ出した。
「──誠実でありたい。/そんなねがいを/どこから手に入れた。
それは すでに/欺くことでしかないのに。
それが突然わかってしまった雪の/かなしみの上に 新しい雪が ひたひたと/かさなっている。」
(中略)
「純白をあとからあとからかさねてゆかないと/雪のよごれをかくすことが出来ないのだ。」
(中略)
※吉野弘の詩
「夢の庭 第118号」より引用(河谷史夫「水漏亭雑記12 吉野弘追悼の記」/夢の庭工房 第118号、2015、3p.)
画廊巡りをしていると、いろんな風景や場面に出会う。移り変化する様子ばかりでなく、ずっとそこにそのままいたのに、あらためて気付いたり、いつもと別趣の思いを抱くことがある。
我が八十路の日々に、どんな景色と出会い、いかなる気付きや発見と巡り合うのであろうか。
さて、と……。
中野 中
美術評論家/長野県生まれ。明治大学商学部卒業。
月刊誌「日本美術」「美術評論」、旬刊紙「新美術新聞」の編集長を経てフリーに。著書に「燃える喬木−千代倉桜舟」「なかのなかまで」「巨匠たちのふくわらひ−46人の美の物語」「なかのなかの〈眼〉」「名画と出会う美術館」(全10巻;共著)等の他、展覧会企画・プロデュースなど。