文=中野 中
(40) 佐渡版画村美術館など
〽︎佐渡へ佐渡へと草木もなびく~と歌う民謡「佐渡おけさ」に誘われたわけでもないのだが、ようやくにして佐渡行を果たした。
ようやく果たした、というほど大袈裟なことでもないのだが、実は40年近く前に、佐渡で木版画活動が盛んになり美術館ができた、その現況の取材に出掛けたのだが、台風到来でフェリー欠航のため断念したことがあった。それを思い出して、いささかの感慨を抱いたわけである。
さて、夏の暑い朝、大宮駅から新幹線とき号(9:07発)で新潟駅着。フェリー待ちの間に駅内で昼食。12:35発のおけさ丸で両津港着15:00。ずいぶん長い旅路であった。
ちなみに、おけさ丸は旅客定員1,705人、積載能力は大型バス32台と乗用車48台(乗用車だけなら290台)、総トン数5,855トンで全長134.7メートル。真っ白い船体が新潟港から67.2キロメートルの波頭を越えて2時間30分、無事両津港に着いた。
無事、というのは船に弱いと思いこんでいる私が、船酔いをしなかったからである。そのせいかどうか、突堤の先端にポツンと立った赤いポール(灯台)に、思わずカメラを向けていた。感傷的気分に陥っていたのだろう。
翌日、夕食の待ち合わせを約して、互いに(私と娘、息子の家族の二組み)レンタカーを借りての自由行動。寄り道をし、海岸風景を楽しみながら「佐渡版画村美術館」へ。
美術館は、木造の門構えで、本館は瓦屋根の2階建て、軒下に窓をめぐらし、玄関(入口)の白壁と長い庇を持つ、古色を帯びた堂々たる構え。明治21年建設の旧相川裁判所(佐渡市文化財)を利用したもの。
入口脇の風化・侵蝕された看板は、農業用水を調整するために使われていた水門の再利用で、美術館にふさわしい風趣を醸している。
美術館開設への道程は、昭和47年、農民金子治作は仲間と共に版画家高橋信一(1917~1986年)の版画作りに感銘を受け、みずからも修練を重ねた。やがて共同体意識の強い山里では、金子を中心に住民みんなで版画作りを楽しむようになり、静山に「山頂ギャラリー」を開いた。
この地域活動が話題になり、昭和53年頃より島内各地域で有志が集まり、静山をモデルとした版画制作グループ(版画村)が誕生するようになった。同57年、島全体へ広がったこの活動は、版画文化の振興と評価され「サントリー地域文化賞」を受賞した。同59年、受賞を糧に美術活動を通じて誇りある島づくり“版画の島佐渡”を目指し、島民の心の拠り処として、また魅力ある佐渡の発信の場として、現在の美術館を開設した、とパンフレットに紹介されている。
展示室には様々な作品が、壁面だけでなく床に展示台を用意するなどの工夫をして展示されている。作品は木版画だけでなく、技法の幅の広い銅版画やシルクスクリーンなど、抽象作品も含め多種多様。中央の公募展や版画コンクールなどでの受賞作家も多くいるであろうと思われる水準で、佐渡の版画界の一端を知ることが出来た。それは良かったのだが、お目当ての高橋信一の作品は見当たらず(ひょっとしたら見落としたか)残念であった。絵ハガキセットで我慢することにした。そこにあるプロフィールによるが、高橋信一は日本版画協会会員、国画会版画部会員であり、スイス・ザイロン国際木版画コンクールで受賞、ニューヨーク近代美術館などに収蔵されている。
ところが、ある村落を車で通過中に「大川屋外版画美術館」に遭遇した。
まったく偶然の好運であった。急遽、道路脇に駐車し、見歩くことにした。途中に掲示してあった案内板には、
「この辺りの集落は元暦元(1184)年頃、村作りが行なわれ、それ以来、幾多の変遷を経て…なかでも長年伝えられた伝統芸能や、文化、行事、産物等が多くの人々の助け合いや支え合いにより色濃く残され…先人が残したそれらを、住んでいる自分達が再認識するために、14年間に亘り約100枚の版画を摺り、カレンダーを作成しました。そしてこの度佐渡市のチャレンジ事業に参加…版画作品を印刷し、外壁に掲げ『大川屋外版画美術館』として鑑賞していただく…」
とある。
大小の様々なモノクロームの作品が、倉庫や作業場の板壁に数点ずつ飾られ、ポツリポツリと距離を置いて、なぜか道路の片側だけに並んでいる。それらは農作業や漁業あるいは祭りや村々の自然の風景で、生活のなかから作品がうまれている。自分達の生活と、文化を大切にしている心情が伝わってくる。
もう一つ、版画の話題では、港の駅コンコースに貼り出されていた『はんが甲子園』(全国高等学校版画選手権大会)の受賞作品6点。色刷り木版でいずれも佐渡をモティーフに“道遊の割戸”の作品もあって、若さあふれる色感覚が眼を楽しませてくれた。
ただ、その展示がトイレの出入口の上であるのは、そこしか空きがなかったのか。マアどうでもいいんだけどネ。
佐渡最大の観光スポット、佐渡金山へ行ったときは本格的な雨降り。観光ポスターで良く見る佐渡金銀山のシンボル、“道遊の割戸”を急いで見て、山を下りて相川町の「ガシマシネマ」への行き帰りに歩いた京町通りや蔵人坂の迫力のある石段など古を偲ばせる風情があり、ぶら歩きを楽しんだ。
港の駅から徒歩10分ほどの宿は、カキの養殖筏の浮かぶ汽水(海水と淡水の混った低塩分の海水)の加茂湖を屋上の露天風呂からながめる眺望も絶景だったが、食事は思いっきり海の幸を食べたく、外食ばかりにした。近くの鮨店、海岸沿いの海鮮丼、居酒屋の煮魚にも満足の舌鼓をうった。
日本海に浮かぶ佐渡島は、周囲280キロメートル、面積855平方キロメートル(東京23区より広い)の大きな島。“バタフライアイランド”とも呼ばれる蝶が羽を広げたような形は、大佐渡山地と小佐渡丘陵、その間の国中平野に大別される。海沿いを走ると、海底の隆起やプレート地震、火山活動などで出来た複雑な海岸線や多様な岩石などの地層が目を楽しませてくれる。
一面、流人の島としての歴史もあり、2泊3日ではほんの一端に触れただけだったが、少しでも日常から離れた非日常の時間は楽しかった。
中野 中
美術評論家/長野県生まれ。明治大学商学部卒業。
月刊誌「日本美術」「美術評論」、旬刊紙「新美術新聞」の編集長を経てフリーに。著書に「燃える喬木−千代倉桜舟」「なかのなかまで」「巨匠たちのふくわらひ−46人の美の物語」「なかのなかの〈眼〉」「名画と出会う美術館」(全10巻;共著)等の他、展覧会企画・プロデュースなど。