文=中野 中
(39) “笑い”あれこれ
ロシアのウクライナ侵攻は止む気配もなく、スリランカでは政権が崩壊してラジャパクサ大統領は国外逃亡。日本政府の外交は覚束ず、オミクロン株「BA.5」の感染者は急増し、選挙遊説中に安倍晋三元首相が射殺され、大雨などの災害は年中行事化している。
暑さに加え何とも気うつな日々が続く。為す術なく呵々大笑で気晴らしをしたい気分だが、それも虚しいだけだ。
というわけで、でもないのだが、“笑い”のあれこれを思いつくままに綴ってみることにする。
まず、時代をぐう〜んと遡って、土偶や埴輪を見てみよう。
縄文土器といえば誰もが思い浮かべるのは、通称「火焔土器」と呼ばれる火焔状把手付土器であり、サングラスをかけたような「遮光器土偶」、あるいはハート型の顔に目と大きな鼻をつけた(口はない)「ハート形土偶」や、小さな乳房と肥満した臀部をもつ全身像の美的造形が際立っている「縄文のビーナス」もある。
珍しいのは「琴を弾く男子」像である。太鼓や笛でなく琴というのはちょっとビックリではなかろうか。この男の顔が微笑んでいるように見えるのだ。額や両頬に赤い彩色(化粧か)を施し、目はどんぐり形に間遠にあけられ、口は横に細長く切られ、鼻はいわゆる団子鼻で、あどけなくも見える表情は明るくほほえましく見えるのだ。「踊る男女」は腕を上下に踊っているように見え、面長の顔に長い鼻を真ん中に逆三角に両目と口が穿ってある。ただ丸い穴なのだが、笑っているようにも見える。
決定的なのは「笑う男子」の頭部だ。目を細めて目尻を下げ、口角を上げて些かしまりない様子が、おどけているようにも笑っているようにも見える。
“笑い”にもいろいろあるが、ただ穴をあけただけの目を見ていると、その笑い?顔は、邪気や災厄祓いの薬効を願っていたのかも知れないのではと思えてくる。今でも言うではないか、“笑う門には福来たる”と。
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アルカイック・スマイルと呼ばれる笑い顔がある。ギリシア初期の人物彫刻の口辺に見られる微笑を指し、中国の六朝時代や日本の飛鳥時代(6世紀末から8世紀初頭)の仏像にもいわれている。
このスマイルの日本の代表的作品ともいわれるのが「百済観音」像(法隆寺)である。その微笑を湛えた小さな優しい顔、ほっそりとしたのびやかな体躯、肩にかかる垂髪の洗練された流麗な波が肩帛に流れ、さらに天衣が脇に垂れ、台座の反花の両側で前方にそりかえる。
この特異な様式の像は、中国南朝系の様式、あるいは北斉―北周―隋の様式を踏む、あるいは百済から到来した作品などと言われてきた。が、本体がクスノキ(樟)の一木造りであり、樟は日本でしか用いられていないこと等から、日本でつくられた、おそらく山口大口費の手によるものではないか、と田中英道氏が指摘している(『国民の芸術』産経新聞社刊)。
この時代には、良く知られている中宮寺の「弥勒菩薩半跏思惟像」のように、“半跏思惟”像は多くつくられている。やはり口もとは微笑んでいるようにも見える。半跏思惟像はもともと太子思惟像ともいわれ、世俗のあり様を憂い、解脱の境地を求めて瞑想にふける若き釈迦(悉達太子)をあらわしていたらしい。“憂い”“瞑想”であれば、西洋の16世紀美術に見られる“メランコリー”の姿に似ている。
話はとぶが、ラファエロ作の「アテネの学堂」の中にメランコリー姿のミケランジェロをモデルにしたギリシアの哲学者ヘラクレイトスが描かれている。左・右の違いはあるが、日本の文豪夏目漱石のメランコリー姿の肖像写真がある。ちょっと気取ってはいるが、漱石はこの作品を知っていたのだろうか。
それはともかく、仏像には両性具有論がある。人格を越えた仏の世界の象徴として男か女かを超越したものだとなり、解脱を求める法悦のありがたさ、尊さへ導く、そのお顔は当然穏かでやさしく、微笑んでくるということか。
ダ・ヴィンチの自画像にもアルカイック・スマイルが浮かんでいる。生々しい話柄だが、彼の両性具有説はかなり知られている。
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水墨画に「寒山拾得」図がある。
中国・唐末頃、天台山国清寺に住んでいたという二人の隠者で、寒山は文殊菩薩の、拾得は普賢菩薩の化身という。蓬髪、破衣の二人が笑ったり、詩を吟じたりする姿、あるいは経巻を持つ寒山と箒を持つ拾得などが描かれる。
寒山拾得図は北宋時代に始まり、南宋―元時代に流行し、梁楷、牧谿、顔輝、因陀羅などが描いており、日本では可翁、伝周文、明兆、霊彩、海北友松、また狩野派や曽我蕭白などの作品が知られている。二人の脱俗的な嬉戯奇行が禅的な趣致にあふれ、悟道への示唆に富んでいることから好画題として喜ばれたのだろう。
東京国立博物館の「寒山拾得図」(伝周文)は、寒山が正面顔。拾得は横顔を見せて寄り添い、月でも見上げているのだろうか。垂れ目、団子鼻で歯を見せて笑っている。黙庵筆「四睡図」は、川のほとりで眠る豊干(二人の師)・寒山・拾得と虎の姿に禅の静寂感を描いたのか。
いずれにしても「寒山拾得」図の二人は笑っている姿が多い。笑いも悟道するひとつの禅機なのだろうか。それは、悲しいこともつらいこともみんな笑い飛ばしているようだ。ストレスの何かと多いこの時世、腹の底から喜び笑えることに出合いたいものだ。
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最後に岸田劉生(明治24〜昭和4年)の「麗子微笑(青果持テル)」(大正10年、重文、東京国立博物館蔵)。これぞ真正の微笑みだ。父の子への愛情が素直に描かれている。その真率の心を感じられる微笑みに、誰も異存なく首肯しよう。劉生自身の解説によれば、
──今迄の私の画にあまりなかつた、やはらか味が加へられ(略)一種妖艶の様な味が加へられました──とあるが、如何だろうか。
青いみかんを持ち微笑む麗子嬢が肩にかける粗末な手製の毛織りも美しく、ぬくもりに満ちている。それが微笑みに相応しい。
翌年描かれた「二人麗子図(童女飾髪図)」の二人の表情は、妖艶を超えて「寒山拾得」図に感じるうすら寒い、不気味さがここにもある。
中野 中
美術評論家/長野県生まれ。明治大学商学部卒業。
月刊誌「日本美術」「美術評論」、旬刊紙「新美術新聞」の編集長を経てフリーに。著書に「燃える喬木−千代倉桜舟」「なかのなかまで」「巨匠たちのふくわらひ−46人の美の物語」「なかのなかの〈眼〉」「名画と出会う美術館」(全10巻;共著)等の他、展覧会企画・プロデュースなど。