あの頃が懐かしい
写真集がもっと近くにあった日々
「波の絵、波の話」写真/稲越功一 文/村上春樹
発行された1984年、中規模以上の書店であれば、どこの店頭でも見かけた。たいていは平置きされていい場所にあったから、誰もが手に取ったことだろうし、パラパラとページをくりながら、ああ、いい世界だなあと眺めたに違いない。ハワイ・オアフ島、ニューヨーク・ロングアイランド、リオなど海や波、ビーチ、空気、光が、気持ちよくストレートに並んでくれている。
ところが、写真家・稲越功一(1941年〜2009年)の写真作品アートブックなのかといえばそうではない。文は村上春樹が寄せているが、「村上春樹の本」と言い切れるほどの分量もない。写真は写真として独立した世界を展開しているし、文章はその合間に挟み込まれて極めて存在感を発揮しているが、写真と直接つながっているわけでもない。アートディレクションを務めた渡邊かをるの力もとても大きい。いや、この世界観をピタッと決めた、まとめ上げたのは、彼であると言ってもいい。まさに波のように、気持ちのいい揺らぎをこの本にうまく収めて、そして今もページを開けばそれはすぐに蘇る。
当時は、海外への関心がとても高く、南の島(実に抽象的な「南の島」)のイメージするもの、例えば乾いた空気、パームツリーの木陰、広いフラットなビーチ、キンキンに冷えたジンライムと汗をかいたグラス、そんなディテール、日本のどこを探してもありそうにない「南の島」のイメージにみんな夢中だった。
あとで振り返って80年代はバブルの時代、日本人が海外に飛び出し経済的に大成功を収めた時代、と言われるけど、84年の出版に先駆けてこの本が準備されたであろう80〜83年頃というのは、正確に言えば、まだ海外は遠かった。この本が遠い世界への憧れとともに眺められたのは当然のことだったと思う。この本よりも1年早く出版された「WINDS COLLECTION」(浅井慎平)も南の風を感じさせてくれる魅力的な本だった。文字とビジュアルの異種格闘技的な掛け合わせについては、「日本国憲法」(1982年)がさらに先輩格として大ヒットを飛ばしている。
稲越功一は、70年代の終わりからこの本の出版までの5、6年間、足繁く海外に出かけ、作品撮りを行なっている。中には広告などの仕事と共に生まれた作品もあるだろうが、単純に仕事と切り離して撮影しているものが多い。稲越さん(親しみを込めて)は、カメラと何本かのズームレンズを持って何を探していたのだろう? 報道写真が大事にする確たるテーマ性というものはない。その場所に行って、その場所の光を感じ、風を感じ、心が求めた時にシャッターを切っている。その作風は、エッセイに近い。「波」に心ひかれる理由については、岐阜生まれの稲越さんは、「成長するまで海を見たことがなかったから憧れるんだろうね」と笑いながら、後日語ってくれたことがある。
さらに後日談になるが、稲越さんの世間に流通している「かっこいい写真家・稲越功一」というイメージとともに、予期しないところでいきなり本音を語ってくれる素直なところが僕は大好きで、同時に、「波の絵、波の話」への憧憬も大きなものがあって、そういったことから、「LAST SUMMER」という写真集などを作らせていただいた。長年稲越さんが撮影を続けた「波」だけを集めた小さな写真集だが、異例のヒットをもたらしてくれた。「波の絵、波の話」から10年近く経っていたが、稲越さんの世界を好きな人はたくさんいると知ってとても嬉しかった。
さて、出版から40年経って、今、「波の絵、波の話」をあらためて眺めてみている。この本をなんと言い現わせばいいのだろう。僕が真っ先に思ったのは、世界はとっくの昔からずっと存在していて、写真家たちは、その世界がときどき見せてくれる光や魅力を分けてもらっている、という言葉、その感覚に近い。だからこの本は「俺が撮った、俺が見つけた」という自己主張のとげとげしさなどとは無縁だ。「撮らせてもらっている」と言う写真家の控えめな気持ちが、品格を与え、安定感と穏やかさを生む。安心感に包まれて、波は地球の呼吸のようにたゆたうことができる。ときおり、村上春樹のエッセイがきらりと光る。
世界と写真家の距離というものは時代によって変化するのだろう。今はもっと詰めて、何にも優先して「自分」が主体になって表現される。そのことが期待されている。強く鋭いものを喜ぶのが今のありようである。そうこうしているうちに、世界と安定的な距離を穏やかに保とうとした稲越さんの魅力からは、遠ざかり、違うものになってしまった。
だが逆にこんなふうに言うこともできる。稲越さんの魅力は、自然の移ろいに心を動かされ、小さな世界に丁寧に目を向けるという日本人の好んできたものにとても近い。それは世界を愛する心であろうし、世界に触れることができる感謝の気持ちでもあろう。その節度こそ、品格であり、それが稲越功一である。稲越功一は、日本人の美意識のスタンダードがどこにあるのか、それを今でも見せてくれている。
高橋 周平
1958年広島県尾道市出身。1980年代中盤より、写真・美術を中心に評論。主な著作に「写真の新しい読み方」「彼女と生きる写真」、ザ・ビートルズ訳詩集「ハピネス・イズ・ア・ウォーム・ガン」など。
企画・編集写真集に「キス・ピクチャーズ」「イジス」ほか、エリオット・アーウィット写真集数冊、など約30タイトル。
展覧会としては「ハーブ・リッツ・ピクチャーズ」展など多くをディレクション。
1996年からスタンフォード大学研究員、1998年より多摩美術大学。現在、美術学部・教授。