コラム

DIG A PICTUREBOOK
写真集を掘れ! Vol.009(後編)

絵画と写真の接点
ときには画家の気分で遠近法を
考えてみよう
-後編-

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この負のスパイラルとも言える美術論争は、「フェルメールはより高度な次元の遠近法を求めるためにカメラを使っ・・」と発言が終わらないうちに、今でもシャットアウトされがちである。フェルメール+カメラは、写真の世界からは歓迎すべきことであっても、美術の世界からは敵視・無視されがち、うとまれがちなのだ。
僕は個人的には、フェルメールこそが、絵画のための遠近法装置のポテンシャルを存分に引き出した最初のアーティストだと考えている。キャンバスにグリッドを作ったり針金のファインダーを試してみたり、その後はテント型、箱型、部屋型など様々なタイプのカメラ・オブスクラを使いこなした画家は他にいない。このことは、デルフトの「フェルメール・センター」*を中心に考えられていることでもある。
けれど、そのように発言するときには、芸術の精神論や盲目的な崇拝をあえて除外して語れる相手かどうか、一応探ってからにしている。

注意しなくてはならないのは、カメラ・オブスクラに関しては、フェルメールだけが使ったわけでも、フェルメールが改良や機械的な発明を加えたわけではないということで、フェルメールはあくまで熱心なユーザーであったということだ。他の同時代の画家たちも、経済的な余裕さえあれば、誰もがカメラ・オブスクラを使いたがった。フェルメールも彼らと何ら変わりがない。
その多くのユーザーたちの中で、フェルメールが秀でていたのは、レンズを通じてカメラ・オブスクラが見せてくれる世界というものを、フェルメールは完全に肯定していた、ということだと思う。画家たちの中には、機械の手助けを得ることに背徳感があったかもしれないし、使ったという事実さえも隠匿しておきたい気持ちがあったと推測できる。
映画「真珠の耳飾りの少女」の中で、メイドの少女(のちに同名作品のモデルとなる)に「(機械の)箱を覗き込んで絵を描くの?」と問われたフェルメールは、なかなかいいところをついてくるなという表情を浮かべながら「参考になる」と答える。フェルメールがカメラ・オブスクラを常用しているとはっきりと明言し、描いていくこの映画の中で、フェルメールがカメラという機械に対しどんな距離感を持っていたかを物語る重要なシーンだ。

ヨハネス・フェルメール《真珠の耳飾りの少女》 画像

ヨハネス・フェルメール《真珠の耳飾りの少女》

 

ただ、本当のところは、先にも述べたように、もっと積極的に「使い切っている」と考えていい。なぜならば、テーマや人物が変われどほとんどの作品の場面セッティングは、カメラ・オブスクラとほとんど同じ距離を保った上で行われているからだ。カメラ・オブスクラのレンズ焦点距離を最優先していることが強くうかがえる。「牛乳を注ぐ女」「窓辺で手紙を読む女」「地理学者」などでそのことはよくわかる。

《牛乳を注ぐ女》画像

ヨハネス・フェルメール《牛乳を注ぐ女》

 

《地理学者》画像

ヨハネス・フェルメール《地理学者》

 

なかでも面白いのが「牛乳を注ぐ女」「地理学者」の2点。カメラ・オブスクラのレンズ位置の低さに注目したい。レンズの位置は今の我々がファッション写真などでよく見かけるローアングル、ウェストレベルのもので、この位置が立体感豊かに人物を際立たせることを、我々が経験上知っているようにフェルメールも見抜いていたと思われる。60年代から70年代、ファッション写真に君臨したデヴィッド・ベイリーの得意技=ウェストレベルポイントにうり二つである。

フェルメールがカメラ・オブスクラのマニアだったと証明できる部分はもうひとつある。カメラ・オブスクラに備わっている「すりガラス」の生み出す乳白な色合い、まろやかな輪郭までも絵画に再現しているからだ。レンズを通過した光は、カメラ・オブスクラ内部の鏡で反射し、そのまま上部のすりガラスに投影される。このときすりガラス特有の軽度な乱反射が起こる。薄い紙を敷いて、画家はそのイメージを転写する。フェルメールはレンズの通過した光、すりガラスに映ったありよう、それらをそのまま描きとっている。「参考になる」どころか、カメラ・オブスクラが生み出すものすべてを大好きだったに違いない。「地理学者」をもう一度見ていただきたい。

僕らがカメラを構えるとき、フェルメールがカメラ・オブスクラを操るとき、それらは全く同じことなのだ。今は、カメラ任せの連射でスナップする時代を通り過ぎ、フィルムカメラを好み、あるいはデジタルカメラでもマニュアルフォーカスなどで、一枚一枚を丁寧に撮り集めていきたいという風潮が強い。より一層、今の時代はフェルメール的なのだと言っていいだろう。

そんな今だからこそ、絵画と写真の接点をおさらいしておきたくて、今回は写真集ではなく、参考資料として一冊の美術本を念頭に書かせてもらった。

フェルメールのカメラ 画像

「フェルメールのカメラ 光と空間の謎を解く」
フィリップ・ステッドマン 著/鈴木光太郎 訳(新曜社)

 

*フェルメール・センター:フェルメールも理事を務めた画家ギルド「聖ルカ組合」の建物は現在、フェルメール・センターとして使われている。開館は2007年4月。センターにはフェルメールの手によるものと考えられる作品すべての写真複製が原寸大で展示されている。

高橋 周平
1958年広島県尾道市出身。1980年代中盤より、写真・美術を中心に評論。主な著作に「写真の新しい読み方」「彼女と生きる写真」、ザ・ビートルズ訳詩集「ハピネス・イズ・ア・ウォーム・ガン」など。
企画・編集写真集に「キス・ピクチャーズ」「イジス」ほか、エリオット・アーウィット写真集数冊、など約30タイトル。
展覧会としては「ハーブ・リッツ・ピクチャーズ」展など多くをディレクション。
1996年からスタンフォード大学研究員、1998年より多摩美術大学。現在、美術学部・教授。

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