何を撮るか なんて重要じゃない
と、骨太に教えてくれる
「68人の写真家」(ライフ写真講座 第11巻)
写真に興味を持った時の入門書。今ではたくさん種類がありすぎてかえって戸惑う人もいると思うが、僕が若い時には、ごくごく限られたものしかなかった。写真雑誌の編集部に入って、「これを読んでおけ」と先輩に教えてもらったものが、今回紹介する「ライフ写真講座」(タイム ライフ ブックス 註:空きスペースはオリジナル表記のまま)という15巻からなるシリーズだ。
「写真講座」というタイトルを聞いて、なんだマニュアルか、とがっかりした人。正しいと思う。写真の目指すものは表現そのものであるはずなのに、その世界の入り口には、カメラの使い方、撮影方法、失敗しないなんとか(失敗したっていいじゃないか!)など、技術寄りのものばかりが並んでいる。豊かな表現の入り口にあるはずなのに、どこまでも噛み合わない違和感、そして薄っぺらい印象がある。
だが、この「ライフ写真講座」は違う、と言いたい。なぜならば、カメラのこと(1巻 日本での発売は1970年)、色(4巻)や光(2巻)、プリント(3巻)、スタジオ(9巻)など、かなり専門的な技術面を語りながらも、読み進んでいくと、どの巻であっても、いつの間にか表現としての写真の話にまとまってくる、というダイナイズムを感じさせてくれるからだ。自然(13巻)、旅(15巻)、家族や子供(12巻)、ポートレート(写真の主題 6巻)などポジティブなテーマが収められるのは至極当然のことながら、ジャーナリズムの巻(7巻)などでは、貧困、孤独、悲しみの表現にも当然のごとく言及している。技術書では絶対に触れたくない領域だろう。
そうした内容の深さ、複雑さを支えているのが、収録された写真や、写真家のクォリティの高さである。大雑把な言い方になってしまうが、どんな有名美術館のベストセレクションをもってしても、人生そのものと言ってもいいほどのこの内容の豊かさ、クォリティには及ばないはずだ。
15巻という遠大な内容の中でも特におすすめしたいのが、68人の写真家(11巻 1972年)である。私はこれを手がかりに、写真、とりわけ写真史の本道たるものを身につけた。
アメリカに本拠地を置いたタイムライフ社のアメリカ寄りの「癖」は随所に顔を出してくるが、省略されがちなアメリカ写真史を見逃さないですむわけで、これを利点と考えれば、逆に大変ありがたい。
内容もさることながら、「序文」がとても素敵だと思う。68人の写真家を収録するにあたって、何をもって判断したのか、が、大きな見識から語られる。偉大だから、有名だからという選出基準は示されていない。その代わり「写真家は何を心に抱いたのか?」、と一文にある。南北戦争時代、写真は記録として活用され始める。戦いが終わって、がらんとした戦場。そこに立って、撮影したアメリカ人写真家。彼が見たのは底知れぬ喪失感であった。編集部はここに反応する。また政治家の肖像を得意としたユーサフ・カーシュは、ある大物政治家の顔を通じて、大衆的、知恵、攻撃的な人格などの隠された複雑な魅力を描き出そうとした。人の顔に何を見るのか、そこに隠しきれないものがあるとしたらなんなのか、編集部は写真を選び、読者に提示する。
おそらくこのシリーズが頑固に貫いているのは、技術や場所、被写体が誰、なんなのかなどは瑣末なことであって、大事なのは、その時に撮影者(それはつまりこの本を読んでその直後に写真を撮り始める読者たちのことだ)が何を意図し、何を感じ、何を伝えようとしたのか、ということなのだと思う。
人の心の内側に収められたものを表に出し、説得力を伴って活字に置き換えるのは、難作業だったに違いない。
僕はこの本から、骨太な編集者魂というものも感じるのだ。サービス精神は足りないのかも知れない。だからとっつきにくさもあると思う。でも、装飾がないからこそ、生涯を通じて何度も読み返せる。写真を「語る」とはこういうことなのだ、と、読み返すたびに何度も反省している。
高橋 周平
1958年広島県出身。早稲田大学卒業。1980年代中盤より、写真・美術を中心に評論。主な著作に「写真の新しい読み方」「彼女と生きる写真」、ザ・ビートルズ訳詩集「ハビネス・イズ・ア・ウォーム・ガン」など。「ハーブ・リッツ・ピクチャーズ」展など多くをディレクション。1996年からスタンフォード大学研究員、1998年より多摩美術大学。現在、美術学部・教授。
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