BRUCE WEBER 極みとしか言いようがない写真集
作家名がタイトルとなっているこの本を一言で表すなら「極みのシンプリシティ」となる。その上で、強く、美しい。スキがない。この印象は、1983年にこの本に初めて出会った時からまったく変わっていない。この年Twelvetrees Press(ロサンゼルス)から5000部が再版され、日本にも入ってきた。今私の手元にあるのは、まさにその再版バージョンであり、初版は不勉強ながら見たこともない。おそらく当時またたくまにソールドアウトしてしまったのだと思う。
ブルース・ウェバーのことは改めて紹介することもないと思うが、ごくごく簡単に触れておく。この本が出た当時、カルヴァン・クラインの❝ユニセックスアンダーウェア❞のキャンペーンを成功させて大人気となったファッション写真家である。本来の定石ならば、商品を身につけた女性モデルの艶かしい肢体がメインイメージとなるはずだが、ウェバーのチームは、いきなり無名の男の裸を使った(撮影の数日前にウェバーが7番街の路上でスカウト。彼は洋服のかかったラックをガラガラと運搬していた)。そのイメージはソーホー近辺のビルボードに無愛想とも言えるくらいシンプルに登場。通勤途上のニューヨーカーたちは新しいものにクールで無関心を装い慣れているはずなのに、「なんで男、なんで裸?」と混乱してしまったという。この逸話は、あながち誇張ではない。今の時代から見れば男の裸などありふれている。その「ありふれていること」を最初にやったウェバーは、やはり天才だと思う。クリエイティブ・チームも、許可を出したクラインも冴えていた。広告効果は世界中で凄まじいものがあり、セクシュアリティが解放された(たとえささやかなものでも)第一歩だった。
さてこの本は、紙の質感が本当にいい。大判の本だが持ち上げると思いのほか軽く、よくできた陶の器のようにさっぱりしている。この紙はたしか、ずっと後になってスティーグリッツの写真集にも使われていたはずだ。厚みのある、マットな、いやマットは言い過ぎでフラットな、例えて言えば、この紙に万年筆で字や絵を描いたらさぞ気持ちのいい書き味だろう、と思わせるような手触り、肌触りのいい紙なのである。グラビュール印刷もまさにこの通りの出来栄えで、しっかりとインクが乗りながら、それでいて不要な重さや持ち重りのような偏りがない。フラットで上品だ。そう、ゆったりとのんびりと暮れていく夕暮れの感じ。もちろん再版と初版を付き合わせて比べてみないことには断言できない。だがこのクォリティならばなんの問題もない。
ところでどうしてグラビュールは日本では顧みられないのか。こんなに素晴らしい印刷、いや版画といった方が正しい、その高度な技術は20世紀の至宝のひとつだ。実際のところ、世界の書籍蒐集家の間では、網点よりも断然グラビュールに鋭い眼差しが注がれている。このままデッドテックになっていくのはいかにも忍びない。この本では部分的に、グラビュールの上から4色の網点印刷が足されている。これがまた面白い。
京都。この本は京都で印刷された、とクレジットされている。まだ、この印刷は可能なんだろうか。紙も日本で作ったものなのだろうか。今でも稼働できるのだろうか。知りたいような知るのが怖いような。
構成も面白い。マット・ディロン、ブラザーズ、ライフガードなど8つの章立てになっていて、その中の一つ、ノートブックと題されたところに、ウェバーのファッションワークが収められている。どれをとっても、時代を超えて生きていく逸品だ。「スキがない」と冒頭で書いたが、いやそうではなく、反対にスキだらけなのかもしれない。だからここに流れる時間はゆったりとしていて、押し付けてくるところがどこにもない。見る側の気持ちの持ちようで、中身の表情がほんの少し変わる。そうした不思議さを持ち合わせている。ウェバーには一度会ったことがある。大きな温かい人だった。その人柄のままの本、なんだと思う。
高橋 周平
1958年広島県出身。早稲田大学卒業。1980年代中盤より、写真・美術を中心に評論。主な著作に「写真の新しい読み方」「彼女と生きる写真」、ザ・ビートルズ訳詩集「ハビネス・イズ・ア・ウォーム・ガン」など。「ハーブ・リッツ・ピクチャーズ」展など多くをディレクション。1996年からスタンフォード大学研究員、1998年より多摩美術大学。現在、美術学部・教授。
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