アートを学ぶ

これだけは知っておきたい
画墨の基礎知識 -第5回-

      文=青木 芳昭

《鶏頭山水図》部分の画像

《鶏頭山水図》部分 筆者作 2021年制作 青墨、茶墨(胡開文1960〜70年代)/水墨用竹和紙/温泉水99

 

禁断の筋目描き

今日では評価されている伊藤若冲オリジナルの「筋目描き」は修正や描き直しがきかないため当時は邪道とされていた。当時の紙は楮紙が中心で滲まないようにドーサ加工し使用するのが当たり前とされていたが、若冲は貴重な生紙(きがみ)である中国の宣紙をそのまま使用することで独自性あふれる筋目描きを生み出したのである。

前回は清代以降の4種類の古墨による試墨を筋目描きで行った。筋目描きといえば伊藤若冲オリジナルの表現方法として知られているが、筆者の描く筋目描きは若冲と大きく異なる。若冲は筋目を交錯させたり重ねたりせず抜群の画力で描き切っている。筆者は墨色(墨質)を確認するとき、初めの頃は宣紙や夾宣紙に墨を一滴垂らし滲み具合を確認し縦線と横線を交錯させる一般的な方法で行っていたが違和感をおぼえた。書墨ではそのようにしてきたのであろうが、筆者が求める画墨の墨質を見極めることはできなかった。若冲だけが成し得た筋目の現し方やアウトラインの冴えを検証するには筆墨硯紙の質と水質の言及はもとより、何よりも筆に含ませる墨液の量や濃度、卓越した技巧と技量の高さが求められる。若冲の技巧や技量の足元にも及ばないにしても、筆墨硯紙+水という吟味した素材の検証から迫る努力を続けてきた。決して若冲と同じ表現をしたいわけではなく筆者独自の現代の筋目描きを表出させたいのであり、そのためには素材面から若冲を解明しなければ辿り着けない。墨、硯、紙そして水の研究に多くの時間やエネルギーを注いできたが、文房四宝の並びでは筆墨硯紙と言われるように筆頭には「筆」がある。若冲の水墨画は即興的に描かれたとされるが、若冲の描いた筋目描きや勢いのある表現には、画仙紙や夾宣紙に羊毛やウサギ、灰リスなどの軟毛ではコントロールが利かないばかりか墨の息切れが生じてしまう。筆者の画力の無さは自覚しているが、そこを道具や材料で補うことで追体験し新たな表現に繋げていこうと思う。そうでもしなければ日本独自の墨表現は途絶えてしまい、墨液を使った墨絵までもが水墨画と認知され、長谷川等伯が中国画を昇華しはじめて日本独自の水墨画を確立し、若冲へと繋げた歴史を学術ではなく表現者の立場から次の世代に繋げることができなくなってしまう。画墨の話から逸れたので筆の話は別の機会にしたい
水墨表現の方向性に限界を感じていた7年ほど前、徳島県にあるアワガミファクトリーで研究会を開催したとき、失敗作として工房の片隅に無造作に置かれていた和紙が気になり試墨するという、千載一遇のチャンスが訪れた。もし、アワガミファクトリーの工房に出向かなければ今頃は筋目描きを諦めていたことだろう。その後、失敗作とされた和紙は「水墨用竹和紙」として商品化されヒット商品となり、筆者の制作の唯一無二の支持体となっている。しかし、それは新たなイバラの道を歩むことでもある。書墨と画墨の差異が際立ち、さらに和墨と唐墨の違いに言及することとなった。支持体が決まると佳い古墨が要求されるため、試墨をさせてくれる良心的な老舗や蔵墨家との出会いが必然となる。筆者は百兵衛No.59で紹介した奈良市の笹川文林堂や大分市の西本皆文堂のご主人との出会いがあり、筆墨硯紙には恵まれている。日本各地には博識で良い墨を提供してくれる老舗があり、良いお付き合いができれば自分好みの筆墨硯紙を入手することができる。40年ほど前、中国からの留学生が帰省するたび買い付けてくれた古墨が予想以上の佳墨であったのは、筆者にとって幸運なことである。

唐墨「百寿」の画像

唐墨「百寿」

清代末に製墨された倣古明万暦程君房造「百寿」である。円形(径12×1.7cm)、漆が塗られ金彩が僅かに残る。青味の中に深い黒味を感じる紫青墨。百種の字体で寿の文字が刻まれ、裏面には寿老翁の長寿を祝う鹿、鶴、松、芝霊などが繊細に彫られた美しい墨である。

この「百寿」は筆者が最も好きな墨の一挺で、淡墨では柔らかな青味、中墨では紫味、濃墨では紫青色となり、筋目描きの一番外側の滲みが流れず程よく留まり美しい。色も良く伸びの良い墨は他にもあるが、この百寿は外際の滲みに曖昧なボケがなく締まりが良い佳墨である。製墨後200年近くが経過している古墨で、油断をすると筋目が強く出過ぎるため運筆のスピードを上げなければならない

《鶏頭山水図》画像

《鶏頭山水図》 筆者作 2022年制作 倣古明万暦程君房造「百寿」/水墨用竹和紙/温泉水99

若冲は即興的に人前でも描いたと言われている。確かに最晩年の斗米庵の時期の水墨画は即興的に描かれているのが分かるが、全てが一気呵成に描かれているはずはない。中国の宣紙や夾宣紙に筋目描きし、筋目以外の部分を同時に描いてしまうと、白い筋幅が広くなり繋がりが無くなってしまう。若冲は水の引き具合を見極め、完全に乾ききらない一瞬を逃さず次の筆を入れる技巧を持っていたのである。宣紙で途切れのない筋目から次の部分への加筆は緊張を強いられる。若冲の前にも後にも筋目描きをする者が現れないのは、邪道なのではなく、若冲以外には描けなかったのである。現在、筋目描きの描き方は紹介されるが、作品として成立し若冲に迫るものは存在しない。18世紀の京都は伊藤若冲、曾我蕭白、長沢芦雪、円山応挙、池大雅、与謝蕪村など型破りで独創性あふれる作家が乱立したが、若冲のみにみられる素材を最大限に活かした表現は、若冲以外に存在しない。もし、タイムマシーンで18世紀の若冲の画室に行けたなら、若冲の筆墨硯紙+水を使わせていただきたいものだ。当時、若冲が使用した墨が明代の150年前後の古墨なのか、若冲の時代の清代の古墨なのか、はたまた新墨なのか・・・?若冲の筋目が流れずボケずに際立つ理由は、超絶技巧の画力だけでは不可能である。若冲の代表作「動植綵絵」は時間をかけ、最高級の顔料をはじめとした素材を吟味し、科学的裏付をもとに制作されている。それとは対照的に水墨画では瞬時に対象の本質を描き出せたのは、画力以上に素材の見極めがありはじめて筋目描きを可能にしたのではないかと思っている。百兵衛No.58「これだけは知っておきたい画墨の基礎知識 -第2回-」で長谷川等伯筆「松林図屏風」の墨質に言及した際、〈上質ではない粗雑な薄いこうぞ紙に描かれたとされ〉ていたことを記した。一般的な学術研究では粗雑な薄い楮紙に描いたのは下絵としてであろうと言われているが、筆者はそれが等伯の革新的狙いだったと思えてならない。中国で描かれる水墨画が薄く脆い画仙紙を使うのに対して、等伯が粗雑な薄い楮紙にドーサをかけて水墨で一気呵成に描いたことで、日本独自の水墨画がはじめて現れたのかもしれない。若冲も誰も描いたことがない筋目描きを完成することができたのは、若冲が当時は高価な宣紙(生紙)を学び尽くし、どこの流派にも属さず囚われず、自由な表現を求めた結果だったのではないか。

大清嘉慶汪節庵製「大泉」の画像

「大泉」 大清嘉慶汪節庵製 円形(径13.3×1.8cm) 300g

銅銭の中心に人物二人をあしらうという粋を凝らした精緻な意匠は、汪節庵が得意とした。清朝の汪節庵は、汪近聖、曹素功、胡開文とともに「徽墨四大家」と称えられ、他の墨匠と比べると残されている資料が少なく、乾隆中期にかけて一世を風靡し汪近聖と名声を二分し謎多き墨匠と言われている。徽派木彫の粋を凝らした精緻な意匠の集錦墨を得意とする一方、嘉慶年間には文人士大夫階層の特注墨を数多く手がけ、簡素で力強い銘墨を残している。

筆者の蒐集墨の中で一番がこの「大泉」である。漆が塗られ陰刻の文字の溝に金泥彩がわずかに残り、経年変化の亀甲紋のヒビも美しい。墨質は濃墨で、赤紫味が華やかで、淡墨では青紫色が美しい青天墨。抑えられた青味と赤紫味のバランスが良いのは良質の松煙と絶妙な配合比の油煙がなせる技であろう。徽派木彫の粋を凝らした墨木型から生まれた風格ある形、古墨の味わい、磨墨の滑らかさ、まさに佳墨である。墨の表裏面とも乾燥による歪みはまったく無く、墨匠の技術の高さに圧倒される。これほど大きな墨であるにも関わらず、亀裂や欠けもなく保存状態も完璧なことに感謝するばかりである。唐墨は日本の気候風土に合わず割れやすいと言うのが通説となっているが、筆者の蒐集墨の中で捻じれやヒビが目立つ唐墨は第二次大戦後から現代のものであり、それ以前の唐古墨は安定している。特に不安定な唐墨は文革以後のものである。

大清嘉慶汪節庵製「大泉」による筋目描きの画像

大清嘉慶汪節庵製「大泉」/水墨用竹和紙/温泉水99

「青木芳昭×丹羽優太 ー刻苦光明ー」展示風景

4月1日〜10日に茨城県那珂市のアカデミア・プラトニカで開催された「青木芳昭×丹羽優太 ー刻苦光明ー」の展示風景

青木が収集した貴重な古墨や硯などの画像

同展では、青木が収集した貴重な古墨や硯なども展示された

 

引用、参考文献:「断箋残墨記」(曹素功)

青木 芳昭
1953年茨城県生まれ。1976年〜77年:パリ留学、アカデミー・グラン・ショミエールに学ぶ。ル・サロン展に『パリの屋根』『街角』を出品し、名誉賞受賞。1977年:中央美術研究所を開設(2011年退職)。1983年〜84年:パリ留学、アカデミー・ジュリアンに学ぶ。1985年:安井賞展出品(以後1989年、1990年出品)。1996年:銀座・資生堂ギャラリー個展。1999年:アカデミア・プラトニカを設立し、代表に就任。2007年:京都造形芸術大学(現 京都芸術大学)客員教授に就任(2011年より専任教授)、月刊誌「美術の窓」で[実践!絵画素材の科学]を連載(〜2009年)。2011年:「よくわかる今の絵画材料」(生活の友社)出版。京都技法材料研究会設立(画材メーカー11社参加)、会長に就任。2015年:新発見・長谷川等伯筆2点の発見から修理に関わる。 現在、アカデミア・プラトニカ代表、京都技法材料研究会会長、京都芸術大学大学院教授

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