コラム

心鏡 #22
2025年1月15日

文=小松美羽

使命を知り、天啓を知り、光を知る。
そして、描き続ける。

絵を生業にして2024年で15年経った。
今年の2025年で16年目に突入する。
今一度、関わってくださった多くの皆様に感謝、そして多くの事を教えてくれサポートしてくれる仲間に感謝、学びをくださる師に感謝。

干支Tシャツ(画像)

小松の絵を用いたファッションブランド「フラットヘッド」の2025年 干支Tシャツのデザイン

正しい学びは人を謙虚にさせるけど誤った学びは人を傲慢にさせる。それは自分自身が誤った考えや行動を経験してしまいながらも、日々他者から助力いただきながら、支えられながら成長をしていく15年だったからだと思うのだ。

20代で訪れたインド(画像)

20代で訪れたインド

20代の頃に一人でインド旅行に行った事がある。その時にふとマハトマ・ガンディーの博物館に立ち寄った思い出が今でも鮮明に蘇ることがある。博物館にはガンディーが射殺された当時の服が展示されていたのだ。ガンディーの言葉の中に「弱い者は相手を許すことができない。寛容さとは強き者の証だ」という言葉がある。展示された血のついた服を見た瞬間にショックを受ける人もいるかもしれない、けれど私はこの服から強き者の一片を感じた。

人を憎み恨むと喉が渇くのだ、人を呪うと喉が渇くのだ。何かを必要以上に無性に求める時は、自分のうちにいる悪の存在に気がつくべきなのかもしれない。人は知らず知らずの内に自分のあやまちを正当化して傲慢になる。土地や文化、人や生き物との出会いの中で得た多くの霊性を震わせる体感が寛容さを知る一欠片のピースでもあるかもしれない。

トルコの博物館にて(画像)

トルコの博物館にて

もともと博物館へ行くとワクワクする人間だった。無意識に今に残る物質から過去を感じることが好きだったからなのかもしれない。なのでイスラエルの博物館に行ったときは時間を忘れて夢中になった。博物館帰りにはおすすめされた骨董品屋でオイルランプを買って帰ったりもした。骨董を手に取ると時間という概念に縛られない自由な感覚と知識を手に入れられる。そこに確かに存在した過去の人々の生活に触れることができる。昔は時間があれば訪れた国の骨董品のお店に足を運んでいた時期もあった。

アイルランドの図書館にて(画像)

アイルランドの図書館にて

イスラエルの旅のきっかけになったユダヤ教の勉強会にて、ラビであるビンヨミン・エデリー先生の放つ言葉がいつも印象的だった。今から数千年前より語り継がれたお話しは今を生きる私たちの生命を揺さぶる。

ビンヨミン・エデリー師と小松(画像)

ユダヤ教のラビ(宗教指導者)であるビンヨミン・エデリー師(右)と小松

生きとし生けるもの、全てが経験の中で独自の学びを得ていく。人類においては長い歳月を費やしながら普遍的な課題の解決に今も繰り返し取り組んでいるように思う。繰り返し議論を重ねながら、変わらないものと変わってしまうものの間の中で常に私たちは師から学び、師を通してタイムスリップを重ねていくのだろう。そうした体験の重層が博物館でのより深い紐解きの方法に結びつく場合もある。
故人から学び、師から学び、近くにいる大切な存在から学ぶ。成長の機会はいつも近くにあるのかもしれない。

杉原千畝通りにて(画像)

イスラエルのネタニヤ市にある「杉原千畝記念通り」にて

ちょうど今から10年ほど前にタイ南部のジャングルを訪れた際に洞窟でテントを張って瞑想の学びを深めるチャンスをいただいた経験がある。その時に、タイのアチャンさん(聖者)から「ジャングルの虫を殺してはいけない。」と言われたことを思い出す。その理由の1つに「ジャングルに住んでいる虫の中には、この土地に住まう神聖な存在(非物質的存在)と友達の方が多くいらっしゃるから」というのだ。石ころ1つも誰かの大切なものかもしれない。

テントに泊まって瞑想を学ぶ(画像)

テントに泊まって瞑想を学ぶ

タイでは洞窟に入る前にその洞窟に住まう神聖な存在に対して儀式を行う。洞窟に入る理由・そして許しを願う等・洞窟の入り口で供物と共に祈り手を合わせる。それでも洞窟の中に入ると多くの存在から試されているような、冷たい視線も感じる。私たちは常に自然に対して謙虚と尊敬と感謝をして生きていかなくてはいけないと実体験した。自然を敬い畏怖しながら生きていく、反対に自然に対して傲慢になり暴力的で破壊的な行為の代償はとても恐ろしく悲しい事態を招きかねないように思うのだ。

神聖な存在が住むタイの洞窟(画像)

神聖な存在が住むタイの洞窟

傲慢の恐ろしさを知った体験の1つがタイでのテント暮らし三日目の早朝の事だった。
朝の5時くらいだったか・・・。私は夢の中で誰かの視点を共有していた。許可なく洞窟の奥に入ってはいけないと言われていたのだが、誰かがライトを片手に洞窟の奥へと入っていく様子が見える。すぐに洞窟に住む存在たちが無礼者に対して不快な怒りを露わにしたような気配というか、声のようなものが聞こえた気がした。それでも、その声が聞こえない誰かが奥へと歩みを止めない。私はその光景に今までに感じたことのない恐怖を感じた。その瞬間、突然に夢から覚めた。
テントの天井に吊された小さなライトが揺れている。なんだ、夢か・・・と思ったのも束の間、全身の鳥肌が立った。殺気だ・・・殺気を感じる。恐ろしいエネルギーが私たちの張ったテントの周辺を支配したかのように感じた瞬間、何者かが洞窟の奥からこちらに向かってやってくる気配を確かに認識した。ペタ・・・ペタ・・・っと洞窟内に響き渡る足音がする。私は人生で初めて「あ、テントから出たら殺される」と思った。と同時に、大きな黒い存在が怒りの感情を剥き出しにした。「シュプルププ・・・ゴニョゴニョ・・・」何かを言って回っている。まるで呪いの言葉のように生命の危機を煽る。テントの中で寝たふりをしながら、息を凝らす。なぜか外にいる存在の姿が映像で見えてくる。それは現実と外部の映像を同時に視聴しているような状態だった。
「まずい・・・」私は息ができなくなった。
なぜなら、私のテントのファスナーを開けようとしているのだ。ジ・・ジ・・・ジ・・静かに開いていく。その時に確かに言葉が聞こえた。「誰だ、洞窟を踏み荒らしたのは・・・お前か・・・お前か・・・」私はすぐに察した「犯人を探している」。
「私じゃありません。私は洞窟の皆様を尊敬しています」と心の中で念じながら祈った。あんなに必死に祈ったのは初めてだった。すると、ファスナーは止まった。
すぐにペタ・・・ペタ・・・ペタ・・と、別の方向に向かって歩く音がした。次のテント、次のテントと確認をしているようだった。
唸り声と足音がだんだん遠のき、恐怖を与えていた存在は洞窟の外に出ていったように感じた。

洞窟内には多くのテントが並ぶ(画像)

洞窟内には多くのテントが並ぶ

しばらくして朝日が差し込んで来ると、私たちはテントから無事に出ることができた。すぐにタイの聖者の皆さんから、洞窟の神聖な存在を怒らせてしまったことへの謝罪をしなくてはいけないと告げられた。急いで供物が用意され全員で洞窟の中でお祈りをした。真っ暗な洞窟の奥に向かって迷いなく鳥が突っ込んでいくのが見えた時に「ああ。許してもらえた」となぜか安堵した。
昨晩、洞窟に住む存在を軽視した人が洞窟を踏み荒らしたのが原因だった。それからすぐに無断で奥に入っていった人が見つかった。しかしその人は何かに取り憑かれたように自分を正当化する、チグハグで奇妙な言い訳を放つばかりだった。
イタリアの悪魔祓いの教会に行った時も感じたけれども、何かに取り憑かれた人の言葉には闇が満ちている。普通は怖いと思うことも怖く感じないのか畏怖することもできずに進んでしまうようだった。

海外の宗教施設(画像)

イタリアに限らず、小松は渡航国の宗教施設に足を運ぶことが多い(写真はイスラエルにあるキリスト教会)

もしかしたら、恐ろしい行いを恐ろしく感じなくなってしまった時ほど、危ういのかもしれない。
私たちは常に守られもするが、脅かされもする。
頑丈に見えて脆く、脆く見えて強い。
目に見えない空気によって生かされ、目に見えない重力によって地に定着している。心も魂も自分を突き上げる霊性だって目に見えないけれども確かに感じている。私たちは目に見えない電波に依存し、生活の中でエネルギーの恩恵を受けている。
でも、本当に見えないのでしょうか?私たちが確かに何かを感じ取っていたり認識することで、目に見えないものを理解し本質を多角的に見ていくことができるのではないでしょうか?
多くの非物質的な存在と対峙しながら人は創造を繰り返しているのかもしれない。少なくとも私の創作活動の根源には大きな影響を与えてくれている。

北京個展(画像)

中国のWhitestone Gallery Beijingでの個展は、昨年末に好評のうちに幕を閉じた

こんなことを一丁前に書いている私だけれども、日々反省の繰り返しでそれでもこれからの未来に向かって生きていける作家であり続けたいし、その使命と役割が私の霊性を突き上げ続けるのだと思う。

頂き物のこの体でどこまでやれるのか。描き続けながら生きていこうと思う。多くのお導きに感謝を。そして来世の自分のために今世でできる事を自分の魂のために果たさなくてはいけない。
役割は気がついた瞬間に使命に変わる。使命に変わった瞬間に天啓を知る。天啓を知った瞬間に光を知る。
心の闇が深ければ深いほど本当はその暗闇に比例して光も強くなっている事を忘れずに、筆を握り続けていく

ジパング展での岸田前首相(画像)

ひろしま美術館で開催された特別展「ジパング―平成を駆け抜けた現代アーティストたち―」
12月14日には岸田文雄前首相が会場を訪れ、小松作品を鑑賞した

 

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