コラム

山の上で、
Vol. 11

ヤマザキムツミコラム「山の上で、」タイトル画像

神奈川県立近代美術館 葉山館《石田尚志 絵と窓の間》2024/7/13– 9/28 展示風景(筆者撮影)

「窓」について考えている。先日、東京・渋谷で開催されていた映像アートの祭典「イメージ・フォーラム・フェスティバル」でリトアニアの3D作品『ささやく魂』を観た。劇中、死者が部屋の窓から外へと出ていく印象的なシーンがあり、その描写になぜか至極納得した覚えがある。

米アカデミー賞国際長編映画賞(旧外国語映画賞)部門の日本代表に選出された黒沢清監督の『Cloud クラウド』の中で、窓の外に人影が映るシーンがあって、思えば、ホラー映画やサスペンス映画ではよく用いられる描写なのかもしれないが。やはりあれは、玄関ではなく、「窓」であることが重要なように思う。

黒沢清監督『Cloud クラウド』全国公開中(筆者撮影)

いまさらながら、窓に着目すると面白い視点が増えていく。建築的にももちろん、窓は重要な役割を担っているのだろうと思うが、普段、私たちは玄関という扉から外の世界へと出かけ、戻ってきている。窓にはまたそれ以上の多種多様な意味合いがあって、そこには違う世界が広がっているという感じがある。

神奈川県立近代美術館 葉山館《石田尚志 絵と窓の間》2024/7/13– 9/28 展示風景(筆者撮影)

神奈川県立近代美術館 葉山館で開催されていた《石田尚志 絵と窓の間》はそんな窓への思考を刺激するとても面白い展覧会だった。石田は、線を一コマずつ描いては撮影するドローイング・アニメーションという手法を用いたインスタレーションを発表し、1990年代から国内外で評価を受けている。

石田作品と葉山館との相性はとてもよく、空間の中に絵があるということでより空間が協調され、動くという単純な喜びや、1コマずつが重なりゆく時間芸術の映像の驚きが、美術館の大きな窓の外に広がる海と呼応し、まさに「絵と窓の間」という世界を生み出していたように思う。

神奈川県立近代美術館 葉山館《石田尚志 絵と窓の間》2024/7/13– 9/28 展示風景(筆者撮影)

窓がもたらしている効果についてあらためて考えてみる。窓がない、ということの閉塞感は植え付けられたものなのか、潜在的なものなのか。(映画やドラマの中のイメージではあるが)牢獄にある小さな窓は、むしろ、わずかな希望を演出しているかのような設計に思えてくる。

光も風も常に窓から差し込んでくる。それはわずかな隙間でさえも感じられる外との接触であり、そこを境とした「変化」や「予兆」をもたらす象徴のようにも思える。熱海の山の上の家は、窓の配置が素晴らしかった。ただ眺めるだけでは見えてこなかった景色が、窓というフレームによって意味を持ち、絵画として動き出していたように思う。

いつかの熱海、窓からの風景(筆者撮影)

鏡もまたよく用いられるモチーフだと思うが、窓はあまりにも当たり前にそこにあって、そのモチーフ性に気付けていなかった。窓について調べていくうちに、詩人でシンガーソングライターであるレナード・コーエンの「The Window」にたどり着く。Why do you stand by the window?からはじまる、窓の持つ神秘性を信じている歌だと思った。なぜ、私たちは時折、窓のそばに佇み、窓の外を眺めるのか。家の窓から見える公園の木々は、少しずつ色を変え、秋を告げている。

 

ヤマザキ・ムツミ
ライターやデザイナー業のほか、映画の上映企画など映画関連の仕事に取り組みつつ暮らしている。東京生活を経て、京都→和歌山→熱海へと移住。現在は再び東京在住。

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