コラム

美のことごと -47-

文=中野 中

(47) ニッポンの夏、わたしの夏

 ことしの夏は、実にあわただしく落ち着かない。“命にかかわる”猛暑で熱中症で命を落とす人が出る。そんな日照りが急転して雷鳴とどろくや大雨が襲ってくる。夕立などと情緒ある降り方でなく、その名も“ゲリラ豪雨”と呼ぶ。こんなアケスケな呼称は昨年もあっただろうか。
 西日本の震度6弱の大地震は、元日の能登半島地震の恐怖を呼び起こしたが、次いで発表された“南海トラフ”の注意報に、大いに不安の日々に襲われた。一週間ほどで解消されたが、地震大国の我が国には、いずれ必ずやってくるとの専門家の予想である。
 オリンピックなど見るもんか、という意志はいとも簡単に裏切られて、ついテレビ放映につかまって深夜近くまで見(魅)入ってしまった。それにしても“平和の祭典”の冠は外さざるを得まい。
 新聞記事の受け売りだが、日本財団パラリンピック研究会の小倉和夫代表(元駐仏大使)の「一部の国がメダルを独占し、世界平和をうたっても説得力に欠ける」との指摘には、まったく同感だ。
 ちなみにパリ五輪に参加した204ヶ国・地域と難民選手団のうち、金メダルを取ったのは63で、米国、中国、日本など上位7ヶ国でその半数を占める一方、約7割の国が金メダルは無し。さらに半数以上の国はどのメダルも取れていない。
 メダルラッシュに浮わついていて良いものなのだろうか。難問に突かれている。
 次いでパラリンピックが始まり、その間を埋めるように第106回全国高等学校野球選手権大会が連日、熱戦を繰り返している。
 もう一つ付け加えておきたい。
 開票が9月27日に決定した自民党の総裁選は、いったいどうなるのか。それにしても11人の立候補者がいるという。 “我こそは”との真の意味は、総理大臣にふさわしい・・・・・のではなく、なりたい・・・・だけとしか思えない。
 一体、どんな国にしたいのか。しっかりとした政策論を戦わせて欲しいものだ。
 日本の夏が暑いのは、外気温のせいばかりでなく、はらわたが煮えくり返っているからでもある。
 書き落としていたが、まだあった。南海のはるかから襲い来る台風ばかりでなく、小笠原諸島辺りで発生した7、8号が連続して襲来、また線状降水帯もあちこちで発生。雨風の被害も陸続した。10号ののろのろ台風の警戒情報もしきりだ。
 地球温暖化どころか沸騰化で、海も天も狂奔。地球人類の危機(原爆のおそれも)は間近に迫ってきた。

茅の輪くぐり

 調布駅の近くにある布多ふだ天神社の茅の輪・・・くぐりに出かけた。
 茅の輪は、チガヤや藁を包み束ねて大きな輪の形に作ったもので、これを3回くぐって身を祓い清めてからお詣りするという、上代から行われてきた民俗信仰の一つ。
 宮中では「大祓おおはらえ」と称するが、一般には「夏越なごしの祓」と言っている。『拾遺集』巻5に「名越なごしの祓」として
  “水無月のなごしの祓へする人は千歳の命のぶといふなり”
とあるようだ。
 先客が数組み列をつくっており、後ろに並んで様子を眺めていたのだが、決まった手順があるのかないのか、柏手の数もくぐり方の左回りか右まわりかも、それぞればらばら。家族でもグループでも打ち合わせナシで、とにかくテーマパークへでも来たような賑かさで、笑顔があふれていた。何しろ初体験で作法も識らず、礼、柏手をして左回りを3回して、少しふらつく足で本殿のお詣りをなんとか済ませた。
 この神社は小ぶりながら古格があった。黒松や欅、しら樫の樹々でうっそうとした境内を掃除していた年輩の方に聞くと、この樹々がおよそ500年ほどの樹齢ゆえ、建て替えはあったとしても、それなりの来歴を持ってるんでしょう、との応えであった。
 樹々に見え隠れする板壁の杣屋に立ち寄って、スッキリとした気分で参道を抜けると、天神通りと称する商店街には、どんな由縁があったのか、水木しげるの『ゲゲゲの鬼太郎』のキャラクターが何体も設置されていた。
 武蔵野台南部に位置する我が町のイメージは、容易にはつかめそうもない。

野尻湖と斑尾高原
 お盆の混雑を避けて、盆明けの平日、北信濃の実家へ、無沙汰の詫びのアイサツと両親の墓参を口実に、一泊二日のドライブ旅行に出かけた。

 墓参を終えて、野尻湖経由で斑尾高原へ。野尻湖は長野県内では諏訪湖に次ぐ大きさで、外国人の別荘村もあり、避暑客で賑う。湖底からナウマンゾウの化石なども発掘されたり、話題性もある。ずいぶん久しぶりの訪問で懐しかったが、かつての思い出よりも些か寂れた雰囲気が漂っていた。駒沢大学の寮があり、駅伝を目指す湖畔一周の訓練に出会ったりした。目近にするアスリートたちの肉体美にほれぼれとした。
 野尻湖から40分ほどで斑尾高原へ。曲りくねった急勾配の山道を上り詰めた1,000メートル超えに長野・新潟両県をまたいで建つホテルは、さすがに涼しく、部屋の正面に斑尾山(1,382メートル)がすぐそこに望まれた。冬のスキー場として良く知られているが、この季節の山の緑は多種多様、山国育ちのわたしには珍しくもないのだが、久しぶりに目を洗われる思いがした。
 早くこいこい、秋よ来い。

中野 中
美術評論家/長野県生まれ。明治大学商学部卒業。
月刊誌「日本美術」「美術評論」、旬刊紙「新美術新聞」の編集長を経てフリーに。著書に「燃える喬木−千代倉桜舟」「なかのなかまで」「巨匠たちのふくわらひ−46人の美の物語」「なかのなかの〈眼〉」「名画と出会う美術館」(全10巻;共著)等の他、展覧会企画・プロデュースなど。

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