コラム

山の上で、
Vol. 9

ヤマザキムツミコラム「山の上で、」タイトル画像

 

2024年4月の終わり

桜の季節が過ぎて、街が新緑を待っている。新しい棲み家の近所にあるサイクリングロードは、桜の花びらで染まっていた。人生10度目の引っ越しで自分がしばらくこの地に住むであろうことを予感している。落ち着くべき所にいる、という感覚がある。

最近聞いた移民学の研究者の方の話が面白かった。そもそも「移住」は遊牧に始まり、戦争や出稼ぎなど、おそらく必要にかられてするものだったが、近年では自分が何者なのか、自分が生きるべき場所ではないと感じて、自分に合った場所に移住する人が増えてきているのだという。存在論的移動。身体的感覚に従う傾向が強くなっているのかと考えると個人的にはとても共感できるし、喜ばしいように思う。

ある日のカモ

川に佇むカモをぼんやりと眺めながら、ふと、熊谷守一のことを思い出していた。「仙人」と呼ばれた彼の事を私は、画や才能を超え、自分を生きることに長けた天才だと思っている。何にも左右されることなく、上を目指すこともなく、ただその場にいる生命の移ろいを味わい楽しんでいる。

「豊島区立熊谷守一美術館」入口壁画

熊谷守一のことを知ったのは映画『モリのいる場所』(2018/沖田修一監督)を通じてだった。自宅の庭へ毎日のように冒険へ出るモリ。「いままで生えていたか?」と新しく見つけた草木に話しかけ、「どこから飛んできた?」と石ころに問いかける。熊谷守一を演じた山崎努、妻・秀子を演じた樹木希林の名演も相まって、2人のやりとりや日々の営みが本当に豊かに生き生きと描かれている。30年間自宅から一歩も出ないステイホームの達人でもあるモリの生き方は、コロナ禍などどこ吹く風であっただろうと想像する。「飽きる」や「暇」といった概念から解き放たれ、好奇心を寄せるものが次から次へと宇宙レベルで日々生まれていく。あらゆる生命が同じ空の下で息づいているという当たり前を、当たり前に生きている。

ある日のじゃこ

熱海の山暮らしではご近所さんといえば人間以外の生き物が多かったと思う。見た事もない虫や鳥にたくさん出会ったし、熱海での私のなによりの理解者であり、寄り添い続けてくれた友は、猫のじゃこ(近所の家の外猫で本名は不明)だった。

モリの生家があった豊島区立熊谷守一美術館を訪ねると、開館39周年展を開催していた。馴染みの作品も多く、やはり目を引いたのは、美術館の入口にも大きく描かれている「蟻」の画だった。こんなにいとおしく感じさせる蟻を私は他に見た事がない。蟻の健気さ、強さ、かわいらしさ、賢さをこれでもかと理解し表している。生きる活力に満ちている。

豊島区立熊谷守一美術館

『熊谷守一画文集 ひとりたのしむ』(求龍堂)の中で、印象的な一文がある。生糸の仲買人の父の仕事をみる中でモリは、「わたしはどうしたら争いのない生き方ができるだろうという考えにとりつかれていったのかもしれない」という。あらゆる生命に大いに触れ、その存在を、観察を通して静かに受容し、何者をも侵すことなく、97歳まで存分に自分を「生きた」モリ。容易なようで容易に真似できないであろうシンプルで至極まっとうと思えるモリの在り方の美しさを想う。いまだ無意味で無慈悲な争いの止まない令和に、改めて。

※写真すべて筆者撮影

ヤマザキ・ムツミ
ライターやデザイナー業のほか、映画の上映企画など映画関連の仕事に取り組みつつ暮らしている。東京生活を経て、京都→和歌山→熱海へと移住。現在は再び東京在住。

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