雑誌「美術屋・百兵衛」No.19(2011年10月11日発行)岡山県特集より備前焼
褐色の土に焼き締める心と技。
備前焼。岡山県備前市の伊部地域に窯が特に多いため伊部焼ともいわれ、瀬戸焼、常滑焼、越前焼、信楽焼、丹波(立杭)焼とともに、日本六古窯の一つに数えられる。朝鮮半島から渡来した須恵器をルーツとする、日本屈指の歴史と伝統を誇るやきものだ。
しかし、備前焼を含めた陶磁器の地場産業は、茶陶としてもてはやされた桃山時代から江戸時代初期の後、江戸末期から明治にかけては衰退の一途を辿った。安価な工業製品や磁器が台頭したためである。そんな暗黒時代から復活を遂げ、今日でも焼かれ続けているやきものは決して多くはない。そんな中で備前焼は、平安時代にまで遡る開窯以来一千年間、窯の火が絶えたことのない、極めて稀なやきものなのである。
備前焼は六古窯の中でも、やきものの起源である「用の美」を色濃く残しているとされ、釉薬を使わない独特の土の質感を愛好する人は多い。ここでは、岡山県備前陶芸美術館の副館長であり、各地の三越百貨店などで個展を開く備前焼陶芸家・佐藤苔助に備前焼の美について聞いてみた。
佐藤が窯を構えるのは、多くの窯場が集まる医王山の麓。備前焼の窯は何といっても登り窯。「窯変」といわれる備前焼特有の模様は、釉薬を一切使わず、松の薪の灰や火の当たり方にムラがあるからこそ。ガス窯や電気窯で備前焼を焼くことはできないのである。1回の焼成には10日間ほど火を焚き続ける必要があり、使用する薪の量は4tトラック2台分にも及ぶ。窯場の周りに積み上げられた大量の薪を1回で使い切ってしまうという。
火の入っていない窯場は静かだが、そこは炎と格闘する “神聖な” 創作の場であり、休戦中の戦場のような緊張感が漂っているようにも感じられる。窯の傍には焼き上げられた作品が処狭しと並び、壮観である。
備前焼に用いられる土にも特徴がある。「田土」と呼ばれる畑の底の土(5m掘り起こすこともある)や山の土、黒土などを混合して練るのだが、土を寝かせることによってより深い味わいを見せてくれる。その期間は、数年間に及ぶこともあるという。
備前焼の魅力は素朴な味わいである。前進しながらも基本に立ち返る心を常に忘れないことが重要だと佐藤は語る。それを忘れて消えていくものも多い。心と技が融合してこそ良いものが生まれるという備前焼の哲学は、今を生きる全ての者に通じるのではないだろうか。
※この記事は2011年10月11日に発行した雑誌「美術屋・百兵衛」No.19の記事を再掲載したものです。その後の調査研究により新たに発見・確認された事実などがあるかもしれません。