アートを学ぶ

これだけは知っておきたい
画墨の基礎知識 -第8回-

      文=青木 芳昭

熱望の画墨がついに完成
青墨「深古墨」(仮称)

筆者はこれまで、伊藤若冲が描いた筋目描きを可能にする優れた日本製の画墨がないと言ってきた。
和墨の墨質が悪いと言ってきたわけではなく、むしろ中国の文革以降は唐墨より和墨の墨質のほうが優れていることは周知の事実である。筋目描きを可能にするのは墨ばかりではなく、むしろ支持体となる生紙の方が重要であることもこれまでも記してきた。
筆者が伊藤若冲の水墨画を私淑し、独自の筋目描き表現を目指してきたことは第7回までに再三申し上げてきた。今年2月下旬、株式会社呉竹(以下、呉竹)顧問の野田盛弘さんから、面白い墨ができたので試墨してほしいと小さな墨が送られてきた。さっそくアワガミファクトリーの2018年製造の水墨用竹和紙たけわしに試墨してみて驚いた。古墨然とした美しい青味と、中墨から淡墨の鮮やかな筋目、交差する立体感のある奥行きは、これまで使用してきた和墨のなかでも突出している。

※文化大革命……中華人民共和国で1966年に始まり、1977年に終結宣言がなされた政治・権力闘争。

青墨「深古墨」1.3丁型(20g)

青墨「深古墨」1.3丁型(20g)

写真の墨は、呉竹が一般に販売している「特選青墨」を顧問の野田さんが10年の歳月をかけ、本年2月に古墨化に成功したものだという。特選青墨と今回の古墨青墨を区別するために、呉竹に許可を得て、筆者が仮称として「深古墨」と命名し紹介したい。「深」は呉竹・深美彩墨のもつ鮮やかな色相を想起させる。その最初の試墨を筆者に託されたことを光栄に感じ、慎重に墨質を検証した。

水墨用竹和紙「深古墨」試墨

上の写真は、墨が届きすぐにアワガミファクトリーの水墨用竹和紙に試墨したものである。硯は「歙州きゅうじゅう小水波硯しょうすいはけん」、硯水は「温泉水99」、筆は京都・中里「運筆円山四条」を使用。中墨から淡墨の冴えと奥行きの立体感が実に美しい。最初の試墨結果から、中墨から淡墨の冴えに比べ濃墨部分を比較すると濃墨がやや鈍く感じる原因は、硯との相性がややずれているためであると分かる。

次に同じ条件で、硯を「歙州銀星水波硯」に変えて試墨すると、中心部分の濃墨にキレのある冴えが出ると同時に、繊細な筋目と大胆な墨の伸びが現れた。硯を鋒鋩ほうぼうが密に揃った煤の粒子の分散が良いものに変えることで、この「深古墨」の墨質を引き出すことができたのではないだろうか。試墨検証はこれからが本番で、最も相性の良い硯を選び「深古墨」にふさわしい硯面の調整を施すことで、清墨や文革前などの唐古墨に引けを取らない画期的な和墨となることが期待できる。

特選青墨分散状態写真 倍率400倍 光学顕微鏡観察(提供:株式会社呉竹)

「特選青墨」分散状態写真 倍率400倍 光学顕微鏡観察(提供:株式会社呉竹)

青墨「深古墨」分散状態写真 倍率400倍 光学顕微鏡観察(提供:株式会社呉竹)

青墨「深古墨」分散状態写真 倍率400倍 光学顕微鏡観察(提供:株式会社呉竹)

 

特選青墨と青墨「深古墨」の分散状態を示した写真を比較すると、上の特選青墨では一般的な青墨粒子の分散状態なのに対し、下の青墨「深古墨」では、青墨の古墨化にみられる煤粒子の凝集と、煤粒子の大小の分布幅の広さが確認できる。つまり、元は全く同じ組成で同時期の製造であるにも関わらず、2年という短期間の加工処理技術により古画墨が完成したことになる。

※青墨の古墨化の特徴として、煤粒子の凝集により大きなぶどうの房状態になり、青味が強く現れる。さらに煤粒子の小さなものから大きなものまで混在することによって、幅広く奥行きのある表情が現れる。

これまで、中国や台湾をはじめ倣古墨や新墨に、あたかも古墨に見せかけた表面加工を施したものは数多く存在してきた。しかし、今回はじめて試墨した呉竹の青墨「深古墨」は表面ではなく中深部までが古墨と同等の墨質であることが確認された革命墨である。

気の早い筆者は試墨直後に呉竹顧問の野田盛弘さんに青墨「深古墨」10丁型を発注したが、現段階での製品化は未定とのこと。固形墨から液体墨の時代へと変わり、固形墨の存在が忘れ去られるなか、筆者が執拗に求めてきた画墨製造の願いに対し10年という歳月をかけて研究開発をしてくださった株式会社呉竹に感謝申し上げる。近い将来、青墨「深古墨」が多くの墨画制作者の手元に届き、固形墨でしか表現できない墨表現の力を世界に発信できることを願うのみである。

 

青木 芳昭
1953年茨城県生まれ。1976年〜77年:パリ留学、アカデミー・グラン・ショミエールに学ぶ。ル・サロン展に『パリの屋根』『街角』を出品し、名誉賞受賞。1977年:中央美術研究所を開設(2011年退職)。1983年〜84年:パリ留学、アカデミー・ジュリアンに学ぶ。1985年:安井賞展出品(以後1989年、1990年出品)。1996年:銀座・資生堂ギャラリー個展。1999年:アカデミア・プラトニカを設立し、代表に就任。2007年:京都造形芸術大学(現 京都芸術大学)客員教授に就任(2011年より専任教授)、月刊誌「美術の窓」で[実践!絵画素材の科学]を連載(〜2009年)。2011年:「よくわかる今の絵画材料」(生活の友社)出版。京都技法材料研究会設立(画材メーカー11社参加)、会長に就任。2015年:新発見・長谷川等伯筆2点の発見から修理に関わる。 現在、アカデミア・プラトニカ代表、京都技法材料研究会会長、京都芸術大学大学院教授

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