文=中野 中
(41) もとの愚が又愚にかえる
ロシアのウクライナ侵攻もコロナの蔓延も、年が新まったからといって、少しも終息の気配も見えない。
去年今年 貫く棒の 如きもの(虚子)
であって、プーチンもゼレンスキーも、みずからのスタンスも宗旨も揺らぐことはなさそうだし、オミクロン株も次々と進化していく。
そんな例えに、虚子の“貫く棒”を引き出しては、虚子にとっては大いに不本意であろう。彼の“棒”は、あくまで前向きに人生の覚悟を詠んでいるのだから。
私の正月らしい句を挙げるなら、
年立つや もとの愚が又 愚にかえる(一茶)
が似合いだ。一年の計を立てては三日坊主の繰り返しで、もはや計をさえ立てない体たらくなのである。
御来光は元日だけ?
せめて御来光(初日の出)くらいは拝もうと、2階のベランダへ出てみたが、隣家にさえぎられて、私の健気な心がけは叶わなかった。
三ヶ日は全日本実業団対抗駅伝競走大会と、東京箱根間往復大学駅伝競走のテレビ観戦で、無為の時を過ごしただけ。それにしても、ひたすら走るだけのことに、何ゆえに惹きつけられるのか。この不思議についてはいずれ考察してみたい。
駅伝の合間のニュースで、富士山頂の登山者の賑わいが放映されていた。みんな初日の出(御来光、御来迎とも)を拝み、何を願い、何を誓ったのだろう。
ものの本によれば、本来は御来迎とのこと。高山に登って山頂に立つと、日の出と反対の西側に流れている雲霧の上に自分の姿が巨きく映って、その周囲に美しい色彩の光輪ができ、後光がさしたようになり、霧の流れに従って変化し、荘厳な景を呈する。その現象を阿弥陀様の来迎に擬してありがたがった、ということらしい。
ただ、初日の出に限らず、御来迎(光)も元日限定版ではなく、いつでも構わない。手許の歳時記には、正月・元日にはなく、〈夏〉に項目立てされ、
御来迎 涼しきまでに 燃ゆるかな(碧雲居)
御来迎 天上に音 無かりけり (月笠)
の2句が掲出されている。
山頂の初日の出体験
私の山頂での初日の出体験は、我が人生で唯一無二、小学6年生のことだ。
私が生まれ育った中野市は、長野県の北東部に位置し、千曲川の支流夜間瀬川の扇状地を中心とする、人口4万人ほどの町。
近世は草津(群馬県)に通じる草津道に沿う集落で、幕府領であり陣屋が置かれた。いま、陣屋跡は展示会場として利用されている。
登ったのは町の北に聳える高社山(標高約1351メートル)で、えらく難儀であったことしか覚えていない。果たして初日の出を拝めたのかどうか、それさえ定かではない。
海の日の出、日の入り
海の日の出、日の入りは、一昨年、初めて堪能した。
何しろ山育ちゆえ、太陽は山から出て、山の向こうに沈んでいくものであった。18歳で上京してしばらくは、山々は四方八方見渡しても見当たらず、情緒不安定に陥ったほどだった。鎌倉や湘南、房総方面にも何度も出かけたし、所帯をもってから、小さな子供と海水浴にも行っている。
西の空や雲が夕照に映える光景には、時に出喰わしていても、太陽の昇り沈む瞬間はどうであったか、格別な思い出の持ち合わせはない。
海での初めての堪能は、伊豆半島南端近くの浜辺と、もう一つは熱海の小高い所からの眺望であった。
何と言っても水平線の広がりである。空と海の広いことか。まさに広大無辺の中の我が身の、頼りないほどの小さな存在であること。頭ではわかっていることを、あらためて身体をもって知る。観念(概念)と実感の、まったく異質の感覚であった。
直視できない光輝の変化と同調して、空も彩りを変える雲や波とのダイナミックな展開。大気が光を七彩に化けさせる彩りに、茫然自失したかのごとき我。ずいぶん長い時間にわたった酩酊から目覚めてみると、それほどの刻は経っていなかった。酩酊と覚醒の間でのひとり芝居であったのではなかったかと思わせるほど、インパクトの強い印象であった。
その余韻は、松林を抜けて宿へ戻るまで消えることはなかった。
熱海からの眺望
翌朝の熱海での日の出の印象は、伊豆のそれとはいささか趣が違っていた。
七彩に移り変わる海の色味が、少し強かったように見えたが、空の色味はほとんど変わらぬようだった。浜辺と小高い所からという視点(角度)のせいだったのか、あるいは風が強めに吹いたことで、波頭が白く、刻々と形を変える雲の動きによって、彩りのテンポの遅速の影響だったのだろうか。
また、背後の森から海や街へ向かうカラスの群れや、飛来する鳥たちの飛影は興趣を添えていたが、波音は高台までは届かなかった。あるいはモーニングコーヒーをしながらの、リラックスした気分などの違いもあったであろう。
この体験は、きわめて新鮮であり、新たな美の発見であった。
が、新しい発見などは、気付きをきっかけとする日常の中にあり、自身の目や視点、あるいは環境や状況の違い、変化によって惹き起こされるのであって、それほど格別に言い立てることでもないようだ。
夕照といえば、エジプトの砂漠に落ちていく夕陽と空、曇、大地に展開された一大スペクタクル──大きなスケールと濃密なダイナミズムは、いまでも思い出される。それは40余年も昔のことだ。
老人は思い出を美化して生きる、と嫌味な友人は言った。
私は私らしく、愚直に生きるしかあるまい。
中野 中
美術評論家/長野県生まれ。明治大学商学部卒業。
月刊誌「日本美術」「美術評論」、旬刊紙「新美術新聞」の編集長を経てフリーに。著書に「燃える喬木−千代倉桜舟」「なかのなかまで」「巨匠たちのふくわらひ−46人の美の物語」「なかのなかの〈眼〉」「名画と出会う美術館」(全10巻;共著)等の他、展覧会企画・プロデュースなど。