文=庄司 惠一
第二章 異次元文明を支える日本文化(前回=2022年7月13日更新分より続く)
心の豊かさはバラエティ豊かな食文化に繋がる。
◎和食
日本料理のことで洋食に対する言葉、狭義では精進料理や懐石料理のことで、日本の風土と社会で発達した料理。旬などの季節感を大切にする、おせち・彼岸のボタ餅・月見団子・冬至のカボチャがもとである。最近は世界的な和食・日本食ブームでもあり、2013年に無形世界文化遺産に登録されました。
ミシュランの星を持つ日本料理店が多くなり外国人に人気がある。以前にアメリカの青年に京都駅前で安い宿を探してと頼まれ、本願寺の元宿坊の宿屋(確か3,500円でした?)を紹介したら、明日の昼食は「嵐山吉兆」で食べたいというので「大変高いですよ」と言ったら「大丈夫、カードがあるので~」とゴールドカードを持っていたので予約をとってあげました。穴のあいたジーンズにTシャツにリュック一つでしたが価値観が違うのですかね。
行ってみたい店は何軒かありますが、予約が取れないのと何よりも財布が許さないのが現状です。宝くじに当たったら行きたいものです。会社員時代は夏休みと冬休みに映画・遊園地・食事(和・洋・中)券が半額で手に入るという特典がありました。抽選ですが…。
私は妻の希望で食事券を申し込み何度か当たりました。和食の「菊乃井」(大きな部屋に妻と二人だけで恐縮)やイタリアンの「イルギオットーネ」や「萬葉軒」など、なかなか行きにくい店に行きました。
◎寿司
鮨-江戸(東京)/鮓-浪速(大阪)
米飯とともに魚介類を組み合わせた日本料理。鮒鮨が日本のスシの始まりとされています。語源は「酸し=すっぱい」。季語は夏。
鮒鮨や 彦根の城に 雲かかる(蕪村)
東北タイ、ミャンマーの稲作地方が起源といわれる、奈良時代には魚介の保存として存在しました。寒冷地の関東以北には見られません。早鮨(にぎり寿司など)となれ鮨(乳酸発酵)に大別されます。
江戸時代は蕎麦の屋台と並び屋台の寿司はファストフードで、大きさは、オニギリくらい。鮪のトロの部分は、脂身が多く冷蔵庫が無かった時代には、腐りやすく商品にならなかったので捨てていたそうです。現代の大人気かつ高価とは大違いです。また、鮪はサバ科マグロ属に分類され、養殖は無理だとされていましたが最近では、近大マグロと言われる近畿大学のマグロが有名で、少ないが市場にも流通しています。以前は店で職人さんに握ってもらうだけでしたが、最近は「回転寿司」が大変普及して手軽に安く食べられるようになり回転寿司店にインバウンドの外国人がよく列を作っています。
すし学校という体験型の寿司店をご存じですか?
奈良本店には毎日300人以上つまり年間10万人以上が来て大繁盛です(多くが中国系)。はっぴを着て教えてもらいながら自分で握っていく。握り5種と手巻き3種で4,500円で、「わさび~」「いらっしゃい」「123ヤッター」など教えてもらった通り大きな声で大喜びです。京都にも伏見区竹田の京セラ近くに「京都すし学校」があります。
本格的な寿司店はなかなか高いですが、回転寿司やすし学校などが入口になるでしょう。
◎ラーメン
中華麺とスープと具で作る料理。拉麺と中華そば・支那そば・南京そばに大別され、明治時代に中華街で生まれ大正時代に全国へ広がりました。タレ……醤油・塩・味噌、出汁……鶏ガラ・野菜・豚骨・牛骨などがあり、具は様々。海外でも人気はあるが、ラーメンの店舗は少なく日本以外の多くはインスタントラーメンです。最近では麺と汁が別々の「つけ麺」が大人気になっています。全国各地に地域(ご当地)ラーメンがあります。有名なのは旭川・札幌・仙台・喜多方・東京・高山・富山ブラック・台湾(名古屋)・京都・天理・和歌山・尾道・徳島・博多・熊本・鹿児島ラーメンなどが有名です。
地域ラーメンは本当に種類や味が様々で各人の好みで楽しめます。京都にはラーメン店が多く色々な種類のラーメンがあり、総称して京都ラーメンと呼ばれています。こってり系・あっさり系・ドロドロ系ひいては「酒粕」ラーメンまであり、京都駅周辺・一乗寺周辺などをはじめ各地域にラーメンゾーンができています。「天下一品」「横綱」「来来亭(滋賀ですが)」などの大・中・小チェーンの発祥の地になっています。私の知っているチェーン店のオーナーはお母さんが屋台から始め、今や全国チェーンです。スーパーカーに乗り超高級腕時計を身につけていますが、これは社員に頑張ればこんなこともできると、見せるためだと。頑張れば暖簾分けするから、自分の店を持つように奨励しています。ラーメン屋は流行れば儲かると………。
◎カレー
香辛料を多用し食材に味付けする料理。日本へは明治時代に英国からイギリス料理として入り、それを元に改良され洋食として普及し、国民的人気料理として老若男女に人気があります。日本で独自に発展し多くの種類があり、本来のカレーとは思えないものも出てきています。インド・パキスタン・ネパール・スリランカ料理は我々がカレーと呼んでいるが、各々特徴があり日本人の口に合うようにもしています。固形のカレールーが商品化され、一挙に全国の各家庭に拡がった。横須賀・舞鶴・呉などの旧軍港でのカレーが「海軍カレー」として人気を得ています。
ラーメン店と並び比較的開業しやすいのでカレー店の開業が若い人を中心に多いと言われています。今や最大チェーン店である「CoCo壱番屋」。愛知県一宮市の発祥の店へ連れて行ってもらったのは何十年前だったであろうか。当時からトッピングが豊富で美味しかったことを憶えています。
◎駄菓子
駄菓子とは、茶席や贈答に使われる高級菓子(上菓子)に対し、主に子ども向けに製造販売された安価な菓子のことです。元は江戸時代に雑穀や水飴などを材料として作り上げ、庶民の間食として食べられていて安さもあり一文菓子と呼ばれていた。地方の藩においては常備食として蓄えられていた「糒」の払い下げを行っていたことから、それを材料として駄菓子を作り上げ、今も売られる庶民的な郷土菓子に定着した地方もあります。駄菓子という名称は高級な上菓子の対照としてつけられたもので、この頃の駄菓子は材料も制限され高価な白砂糖などを使うことは許されなかったとか。
現在、駄菓子として売られているものは明治からの流れを受け、戦後に発達したものがほとんどで種類も多くなった。パッケージに子供の人気のスポーツ選手やアニメキャラクターを使用し、ものによってはクジ引きが出来て当たりが出れば「おまけ」が貰えるものがあり、当たりが出れば大変嬉しかったものです。昭和期には駄菓子屋が全国の街角にあり一時代を築いたが、最近ではコンビニやショッピングセンターやスーパー等に中心が移った。現在も売られている伝統的な駄菓子は「仙台駄菓子」「飛騨駄菓子-甘々棒」「播州駄菓子-かりんとう」が三大駄菓子といわれます。
駄菓子の種類としては、黒棒(黒砂糖味の棒菓子)・南蛮菓子(カルメ焼)・金平糖・水飴・三角飴・飴・きなこ飴・サクマ式ドロップス・ポップキャンディ・ボンタン飴・味カレー・チーズあられ・どんどん焼き(東北地方)・ソース味せんべい・エビせんべい・ポン菓子・ベビースターラーメン・ラスク・漬けイカ・甘いか太郎・ビッグカツ・みそカツ(名古屋)・酢コンブ・スモモちゃん・ミニサラミ・玉ガム・ラムネ・チョコバット・麦チョコ・綿菓子・前田のクラッカー・ニッキ水・カタヌキ等々懐かしい名がたくさんあります。紙芝居においての駄菓子販売も懐かしいです。
日本最大規模の駄菓子屋の問屋街は名古屋市西区明道町に有ります。また、最近では「駄菓子バー」という駄菓子とお酒が楽しめるバーが人気になっていて、これは2003年に渋谷区恵比寿にオープンした店が最初だといわれているが、名古屋の大須にある駄菓子バーが最初との説もあります。駄菓子屋は昔はお婆ちゃんが店番をしていて子供達が小銭を握りしめて何を買おうかと目を輝かせていました。
昭和20年代に子供時代を過ごした私は一日の小遣いは5円で駄菓子で使うか「紙芝居」で使うか毎日悩んだものです。紙芝居はそこの駄菓子を買った子は前の方で観られるが、買わない子は後ろからしか観られなくて子供が多い時は頭越しに少ししか観られませんでした。小遣いが一日10円になった時は駄菓子も食べて紙芝居も見れたので嬉しかったことを思い出します。
播州姫路出身の友人に播州駄菓子が日本三大駄菓子に数えられると話すと、そういえば黒砂糖の「かりんとう」ではなく普通の「かりんとう」がよくおやつに出ていたと子供時代の話しで盛り上がりました。(続く)
前方後円墳は現代アートである
日本異次元文明論
庄司 惠一 著
発売:オクターブ/価格:本体3,500円+税
仕様:A5判・173ページ/発行日:2019年11月12日
ISBN:978-4-89231-211-3
庄司 惠一
MASA コーポレーション会長。
1939(昭和14)年、和歌山県田辺市生まれ、京都市育ち。
神戸商科大学(現・兵庫県立大学)卒。1972(昭和47)年、京都・五条坂に画廊「大雅堂」を開く。1986(昭和61)年、京都・祇園に画廊を移築オープン。2008(平成20)年8月から現職。