コラム

温故知新 vol.12
「黒い背景の絵に学ぶ」

文=松本亮平

先日私は珍しく黒い背景で猫の絵を描いた。岸田劉生の《麗子 毛糸肩掛けして人形を持つ肖像》をオマージュした「愛猫毛糸敷物に人形と座る肖像」である。私が普段猫を描く際には、親しみやすさや愛らしさを重視するため明るく賑やかな背景を設定する。その背景によって猫が無邪気に遊び回り、優雅に昼寝をする楽しい連想が膨らむためである。一方で、何もない暗闇の背景は現実の世界では珍しく、不思議で不気味さを伴う空間である。その暗闇の背景を採用することで、猫の可愛らしさの奥にある人の心を見通すような冷静な眼差し、猫の神秘性に焦点を当てたいと考えた。

松本亮平《愛猫毛糸敷物に人形と座る肖像》2022年

松本亮平《愛猫毛糸敷物に人形と座る肖像》2022年

神秘的なテーマには黒い背景がよく似合う。
フランシスコ・デ・スルバランの「神の仔羊」はその代表である。子羊が描かれているが、その背景は牧場や草原ではなく暗闇である。地面と壁の境界線は羊の影によって黒く繋がり、奥には光の届かない空間が存在している。その無限の闇の中にキリストを象徴する子羊が明るく浮かび上がり、神秘性と崇高性を感じさせる。スルバランは日常的な食器や食べ物を卓上に並べた静物画も多く残しているが、黒い背景の作品は一種のお供えやおまじないの儀式のようにも見え、同様の神秘性、非日常性を持っている。

フランシスコ・デ・スルバラン《神の仔羊》1640年 プラド美術館蔵

フランシスコ・デ・スルバラン《神の仔羊》1635-1640年 プラド美術館蔵

「春日鹿曼荼羅図」(奈良国立博物館)もその絵の意味を知らずとも一目見て神々しさが伝わってくる。暗い背景の中で輝く光の輪と白く浮かび上がる鹿からは夢の中のような非現実感も感じられる。この闇の正体はよく見るとかすみのようである。画面の下の方を見ると絵巻物や屏風絵でよく見る霞の形をしている。この暗い霞は場面の切り替えと遠近感の表現に非常に役に立っている。霞の下は現実世界であり、鳥居のある緑の野原で鹿が草を食んでいる。霞の闇の中は神話の世界であり、神様達を運ぶ白い鹿が雲の上に神秘的に浮かんでいる。霞の上は遠い山々で木の一本一本まで丁寧に描き込まれ現実感が表現されている。現実の自然界と神話の世界が暗い霞によって巧みに融合された作品である。

《春日鹿曼荼羅図》14世紀 奈良国立博物館蔵

《春日鹿曼荼羅図》14世紀 奈良国立博物館蔵 出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)

ここまで見てくると黒い背景の絵は必ず神秘的になるのかと疑問が湧いてくる。そこで面白い絵を思い出した。稲葉弘通の「鶴図」(1811年)である。私は個人的には、この絵からは神秘的というよりは楽しく現代的な印象を受けた。この作品の鶴のポーズと描法の両方に古典絵画にはないオリジナリティがあるからだと思う。この絵の背景は幽玄さも感じられる味わい深い墨色だが、主題の鶴がユニークである。まず感じるのは鶴のポーズの面白さである。鶴を描いた作品でクチバシが見えないものは初めて見た。さらにはお辞儀をしたポーズなので顔すら見ることができない。伝統的な決まりものの鶴のポーズでないところに作者の創意を感じる。
次に鶴の白の表現である。この絵では白い絵具を分厚く不透明に塗っている。通常は墨が主体の表現ならば生地を塗り残し、また白い絵具を使う場合には鶴の羽毛の生え方が分かるような繊細な塗り方をするように思う。しかし本作では均一に塗られた鶴の平面性が印象的でポップささえも感じられる。
この作品は色、構図、描法、そのどれにおいても過去の常識に囚われておらず、それゆえに目を引く独自性を得ている。自由な表現の楽しさ、大切さを感じさせてくれる。

稲葉弘通《鶴図》1811年

稲葉弘通《鶴図》1811年 画像提供:府中市美術館

黒い背景は主題に神秘性、非現実性、崇高性を与えるのに効果的であるが、固定観念に囚われず楽しい黒い絵に挑戦してみるのも面白いかもしれない。

松本 亮平(まつもとりょうへい)
画家/1988年神奈川県出身。早稲田大学大学院先進理工学研究科電気・情報生命専攻修了。
2013年第9回世界絵画大賞展協賛社賞受賞(2014・2015年も受賞)、2016年第12回世界絵画大賞展遠藤彰子賞受賞。2014年公募日本の絵画2014入選(2016・2018年も入選)。2016年第51回昭和会展入選(2017・2018年も入選)。2019年第54回昭和会展昭和会賞受賞。個展、グループ展多数。
HP https://rmatsumoto1.wixsite.com/matsumoto-ryohei
REIJINSHA GALLERY https://www.reijinshagallery.com/product-category/ryohei-matsumoto/

error: このコンテンツのコピーは禁止されています。